天満大自在天神 各地に伝わる伝承 ①
牛天神北野神社の願い牛
寿永(じゅえい)1年(1182年)、奥州東征途中の源頼朝がある岩に腰を下ろし休息した際、夢に、牛に乗った天神が現れ「2つの喜びがある」と告げられたという。すると、長男頼家(よりいえ)が誕生し、翌年には、平家を西へ追い払うことができたため、頼朝が「牛天神」を創立し腰掛けた岩を祀ったという。
尾張徇行記(黄竜寺伝承)
その昔、愛知郡山崎村(やまざきむら)のあたりに林香・照山という僧侶の兄妹がいた。 文禄(ぶんろく)元(1592年)年4月頃、照山は御所によばれた際、後陽成(ごようぜい)天皇のお気に入りとなり毎年おこたらず勤めよ、という勅命をうけた。その時、妃から原道真公自筆の画像をいただき、熱田に帰り寺に安置していた。しかし、照山には女性の月の障りがある為このままではお勤めを果たすことができないと考え、ぜひ、清浄の地にお移ししたいものだと祈っていた。すると、その夜、照山の枕元に束帯姿の立派な人が手に梅の花を持って立ち「汝の願いは良いものである。ここから東に汝の親しい者がいるがその者に画像を譲るがよいだろう。」と言ってどこともなく消え、梅の香りが四方に薫ったと思うと夢は終わっていた。 照山はうれしく思い、夢のお告げを林香に知らそうと山崎に人をやった。
一方、林香もその夜同じ霊夢(れいむ。神仏の様な人知を超えた存在によるお告げが現れると言う、摩訶不思議な夢)を見ていた。五十を過ぎた立派な人がきちんとした衣冠姿で手に梅の一枝を持って言った。「我は京都北野の者である。近頃縁があり、熱田へやってきた。今からはこの寺に来て仏法を守ろう。」と言い、梅の香りがして夢の出来事をすっかり理解した。林香はなんと不思議なこともあるものだ、この事を照山に話そう、と、急いで出かけ、照山の使いと山崎の橋の上で鉢合いお互いに霊夢が同じであることに感涙したという。そのまま熱田に行き照山と会い、喜びを分かち合った後、すぐに画像を林香に渡し、自身の寺に大事に安置したという。
高台寺天満宮縁起
豊臣秀吉の正室 北政所(きたのまんどころ)は、幼少の頃より天神を崇拝していた。ある夜、近臣も連れずに、裸足で清水寺と吉田山(よしだやま)の間にある険しい山道を登っていた。すると突然、巨大な岩の上に衣冠束帯で端座する憤怒の相をした天神が現れ「王城を鎮護し諸人の願いを叶えんがためこの地に社を築き、よろしく護持するよう」と言い終え、忽然と姿を消した。翌日、目を覚ました北政所は、夢かと驚き合掌していたところ枕辺に錦につつまれた一軸を発見し開いてみると、夢に見た天神と全く同じ姿を描いた再像であったという。