八神殿 概要
平安時代の宮中(平安京大内裏)では、神祇官西院において「御巫(みかんなぎ)」と称される女性神職、具体的には大御巫(おおみかんなぎ)2人(のち3人)・座摩巫(いかすりのみかんなぎ)1人・御門巫1(みかどのみかしこ)人・生島巫(いくしまのみかしこ)1人により重要な神々が奉斎されていた。八神殿はそれらのうち大御巫(おおみかんなぎ)によって奉斎された8祠の総称である。祀られる8神は天皇の健康に関わる重要な神々で、『延喜式』神名帳においては全国3,132座の筆頭に記載されている。
古図によると、八神殿は各神を祀る社殿がそれぞれ独立しており、神祇官西院の西壁に沿って東面した社殿8宇が南北に並んだ。8宇の周囲には南北10丈・東西3丈の朱色の玉垣を三方に廻らし、各殿内に神体は置かず榊のみを置いたという。玉垣には、第一殿・第五殿・第八殿の前の3箇所に鳥居を設けていた。また『延喜式』臨時祭の御巫等遷替供神装束条によると、神衣は男神4体分・女神4体分で、御巫の交替ごとに神殿・神衣・調度品全てを一新するよう規定されている。奉仕する大御巫(単に御巫とも)は、『令集解』(りょうのしゅうげ)職員令神祇官条の御巫卜兆(ぼくちょう)の時点では倭国巫2人から成ったが、『延喜式』神名帳の時点では天皇・中宮・東宮のための3人に改められている。
8神に関する最も重要な祭祀は、新嘗祭前日に行われた鎮魂祭(ちんこんさい/みたましずめのまつり)である。鎮魂祭は天皇の霊魂の活力を高めるための祭りで、八神殿の8神に大直日神(おおなおびのかみ)を加えた9神により、浮遊する霊魂を身体の内に止めて心身の統一が企図された。