護国神社 指定護国神社 ④
宮崎縣護國神社は、1943年(昭和18年)4月23日、宮崎市下北町(現・同市下北方町)に創立許可を得て造営に着手したが、勤労奉仕による整地作業が終わり建築用材及び建設資金を集めた時点で終戦を迎えたため、GHQ宮崎軍民政部長官の厳命で建設放棄を余儀なくされた。主権回復後の1953年(昭和28年)4月に宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して再建に着手し、宮崎神宮(みやざきじんぐう)の境内に建設された。1955年(昭和30年)3月10日竣工、同日鎮座祭が斎行された。
熊本縣護國神社は、花岡山招魂社から改称して、新社殿建設のため熊本市黒髪町立田山(たつだやま/たつたやま)山麓に県民奉仕により1万坪の新社地を造営し、1944年(昭和19年)3月5日に内務大臣の許可を得て新社殿の造営に着手したが、終戦に伴い中止された。1953年(昭和28年)5月11日、造営予定地だった立田山山麓から現在地の藤崎台招魂祭場跡に造営敷地が変更された。1955年(昭和30年)1月7日に熊本県護国神社御造営奉賛会が設立されて同年10月着工、1957年(昭和32年)4月末に竣工。同年5月10日に御鎮座大祭が斎行された。