孝安天皇 陵・霊廟
孝安天皇の陵(みささぎ)は、宮内庁により奈良県御所市大字玉手にある玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)に治定されている。公式形式は円丘。玉手丘陵上に所在する。
陵について『日本書紀』では前述のように「玉手丘上陵」、『古事記』では「玉手崗上」の所在とあるほか、『延喜式』諸陵寮では「玉手丘上陵」として兆域は東西6町・南北6町、守戸5烟で遠陵としている。しかし、中世に陵の所在が失われ、元禄年間以来検討されて室村のとある古墳が擬せられたが、『歴帝陵』の一本および『大和志』が現在の地を推して以来、定説となった。幕末の修陵の時におおいに修治が加えられ、その竣工に際して、慶応元年3月12日に広橋右衛門督(ひろはし うえもんのかみ)が遣わされに修陵奉告が行なわれた。
また皇居では、宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに孝安天皇の霊が祀られている。