明治末期の神社合祀 目的
神社合祀の目的は、神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで一定基準以上の設備・財産を備えさせ、神社の威厳を保たせて、神社の継続的経営を確立させることにあった。また、教派神道は宗教として認めるが、神社は宗教ではなく「国家の宗祀」であるという明治政府の国家原則(宗・政・祭体制)に従って、地方公共団体から府県社以下神社に公費の供進を実現させるために、財政が負担できるまでに神社の数を減らすことにもあった。
この政策は内務省神社局が主導したが、同省地方局の関与もあったらしい。というのも、地方局は合祀の目的の一つである地方公共団体からの府県社以下神社への公費供進を認めるのを地方公共団体にさらなる財政負担を求めるものとして消極的だったが、それを認める代わりに地方自治政策の一環としての神社中心説を神社合祀政策に盛り込んだのであった。
神社中心説とは地方の自治は神社を中心に行なわれるべきだという考えのことで、これにより合祀政策に一町村一神社の基準が当てはめられることとなった。神社の氏子区域と行政区画を一致させることで、町村唯一の神社を地域活動の中心にさせようとしたのである。