穢れ 日本


仏教神道における観念の一つで、不潔・不浄等、理想ではない状態のことである。



「けがる」と「よごる」の違いは、「よごる」が一時的・表面的な汚れであり洗浄等の行為で除去できるのに対し、「けがる」は永続的・内面的汚れであり「清め」等の儀式執行により除去されるとされる汚れである。主観的不潔感。



併せて「罪穢れ」と総称されることが多いが、罪が人為的に発生するものであるのに対し、穢れは自然に発生するものであるとされる。穢れが身体につくと、個人だけでなくその人が属する共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられた。穢れは死・疫病・出産・月経、犯罪等によって穢れた状態の人は祭事に携ることや、宮廷においては朝参、狩猟者・炭焼などでは山に入ることなど、共同体への参加が禁じられた。穢れは(みそぎ)や(はらえ)によって浄化できる。「罪」は「恙み(ツツガミ)」から、精神的な負傷や憂いを意味する。



戦後の民俗学では、「ケガレ」を「気枯れ」すなわちがカレた状態とし、などのハレの儀式でケを回復する(ケガレをはらう、「気を良める」→清める)という考え方も示されている。



類似の観念は他の宗教民間信仰にもある。