神理教 組織と展開 戦後
1946年から1977年まででは次のような特徴がある。戦後は、宗教法人の認可が容易になり、より大きな教団に属している必要性がなくなったため、いくつかの団体が離脱し別の宗教法人となる。ほとんどは教祖没後に支部教会となったものである。1947年(昭和22年)4月12日、宗教法人令による宗教法人になる。1952年(昭和27年)6月14日宗教法人法による宗教法人となる。免許取得者数は、1952年に319名とピークを迎え、以降は年間数10人程度で推移した。佐野珍彦は1948年に死去する。4代目管長には佐野高嶺の長男である巫部健彦(かんなぎべ たけひこ。1926年 - 2006年)が就任した。
1994年、独立百周年大祭。2000年、開教百二十周年大祭。2006年、教祖昇天百周年大祭。