神社建築 建築様式 古典的神社建築(本殿)の類型


古典的な神社建築(本殿建築)は、以下のように分類することができる。



1 柱の下に土台を持つもの


2 心御柱(しんのみはしら)を持つもの


3 内部が2室に分かれるもの




柱の下に土台を持つもの流造(ながれづくり)春日造(かすがづくり)に代表される。柱を地面に直接建てたり、礎石などの基礎を設置したりせずに、社殿の最下部に井桁を組み、その上に柱を建てる。これは社殿を移動させることを前提とした様式で、祭祀のときのみ社殿を設置し、祭祀を行なわないときには社殿を設置していなかったという、上古の祭祀方法の名残ではないかと言われている。また、「神籬」(ひもろぎ。上古の仮設の祭壇)が発展して、常設の社殿となったのではないかといわれる。



流造・春日造のいずれも床下を壁で隠蔽している。これは神社建築一般の特徴でもあるが、社殿と設置された地面とのつながりに神聖性を求めることによる。言い換えると、社殿の神聖性の根源は置かれている場所に求めることができる。すなわち、神体とされる領域や磐座などの上に仮設の祭壇を置いて祀った神籬の形式を受け継いだものではないかということが、ここからも指摘できる。



境内社や小祠に用いられる様式で、流造や春日造の階を省略して棚を付けた見世棚造(みせだなづくり)という小型社殿様式があるが、これは省略形というよりはむしろ神社建築の原形に近いともいえるかもしれない。



このように、起源を上古に求めることができ、「柱の下に土台を持つもの」は神社建築の中でも古い形式と考えられる。



心御柱を持つもの神明造(しんめいづくり)大社造(たいしゃづくり)である。この様式の特徴は、心御柱(しんのみはしら)・棟持柱(むなもちばしら)を持ち、掘立柱(ほりたてばしら)であることである。心御柱は、社殿の中央にある柱を指すが、建築構造上、意味をなさない柱であり、本来は神の依代(よりしろ)であったと考えられる。神明造では社殿本体と完全に分離している。棟持柱は母屋の梁を支える他の柱と違って棟に届く柱のことである。



そして棟持柱を含めて、全ての柱が礎石を使わず地面に穴を掘って建てる掘立柱である(現在の出雲大社は土台の上に建つ)。掘立柱は原始住居以来の建築に使われるものである。



内部が2室に分かれるもの住吉造(すみよしづくり)八幡造(はちまんづくり)である。どちらも本殿内部に前後2室もっている。住吉造は後室に神座(しんざ)があり、八幡造は前後の室にそれぞれ神座(昼の神座と夜の神座)があるのであって、両者は厳密には区別されるが、もともと1室の本殿が分化して2室になったものではないという意味で共通である。大鳥造(おおとりづくり)天皇大嘗祭(だいじょうさい)のときに祭儀を行なう大嘗宮(だいじょうきゅう)もこれに含まれると考えられる。