説経節は、文芸のうえでは江戸時代の絵入り娯楽本である草双紙(くさぞうし。絵草紙)や伝奇小説(読本)の類にも多くの素材を提供した。曲亭馬琴(きょくてい ばきん)も『石堂丸苅萱物語』や『松浦佐用姫石魂録』(まつらさよひめ せきこんろく)などの読本作品をのこしている。
説経節の演目はのちに近代小説の題材ともなった。1915年(大正4年)に森鴎外によって小説『山椒大夫』が書かれ、雑誌『中央公論』に掲載された。鷗外は、説経のあらすじをおおむね再現しながらも脚色を加え、親子や姉弟の骨肉の愛を中心に描き、近代的な意味で破綻のない世界にまとめあげたが、しばしば、原作のもつ荒々しさや陰惨さ、虐げられた者のどろどろとした情念の部分は取り払われたと指摘される
。また、この翻案小説にあっては「道行」の下りはごく簡単に処理されており、死と再生という説経節がもつ独特の場と形式も軽視されていると指摘されることがある。
1917年(大正6年)には折口信夫によって短編小説『身毒丸』(しんとくまる)が発表されたが、これは説経節『俊徳丸』や謡曲『弱法師』のもととなった高安長者伝説を「宗教倫理の方便風な分子をとり去つて」短編小説化したものである。主人公「しんとく(身毒)丸」は、ここでは先祖伝来の病を持つ田楽師の子息として描かれている。