補陀落渡海 思想的背景


仏教では西方の阿弥陀浄土と同様、南方にも浄土があるとされ、補陀落ふだらく。補陀洛、普陀落、普陀洛とも書く)と呼ばれた。その原語は、チベットラサポタラ宮の名の由来に共通する、古代サンスクリット語の「ポータラカ」である。補陀落は華厳経によれば、観自在菩薩(観音菩薩)の浄土である。



多く渡海の行われた南紀の熊野一帯は重層的な信仰の場であった。古くは『日本書紀』神代巻上で「少彦名命(すくなびこなのみこと)、行きて熊野の御碕(みさき)に至りて、遂に常世郷(とこよのくに)に適(いでま)しぬ」という他界との繋がりがみえる。この常世国は明らかに海との関連で語られる海上他界であった。

また熊野は深山も多く山岳信仰が発達し、前述の仏教浄土も結びついた神仏習合熊野権現の修験道道場となる。そして日本では平安時代に「厭離穢土欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)に代表される浄土教往生思想が広まり、海の彼方の理想郷と浄土とが習合されたのであった。