過去七仏 倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)
梵: Kanakamuni、巴: Koṇāgamana、くなごんむにぶつ。迦那伽牟尼、拘那含牟尼などとも音写し、金仙人、金寂静などと訳す。賢劫千仏の第二仏。
人寿が4万歳(3万歳とも)の時に出世した。弟子は7万人いたという。バラモン出身で、姓を迦葉(かしょう)及び婆羅堕(はらだ)といった。父名を耶睒鉢多(巴: Yaññadatta、大徳とも)、母名を鬱多羅(巴: Uttarā、善勝とも)という。名前の倶那含は金、牟尼は仙人のことで、彼の身は金色だったゆえにこの名がついた。
烏暫婆羅 Uḍumbara 樹下において成道し、第一会の説法をもって3万の比丘が阿羅漢果を得たという。この仏は現在の賢劫中において出世したため、多くの遺跡があったと伝える。
法顕伝には、舎衛城より東南に12由延云くと倶留孫仏の生まれた那毘伽邑で、そこからまた北に1由延満たずして一邑あり、ここが倶那含牟尼仏が生まれた処で、ここからまた東に1由延行くと釈迦仏が生まれたカピラ城があったと伝えている。また玄奘の西域記にも倶留孫仏と同様に、この仏の舎利を収めた20余尺の卒塔婆の記述がある。