教相判釈 歴史(漢訳仏典圏)



中国においては、伝えられた経典の多さから仏教の教えがあまりにも多様化し、どれが釈迦の真実の教えかということが問題になった。そこで、経典の内容が種々異なるのは、釈迦が教えを説いた時期や内容が異なるためと考え、教えを説いた時期を分類し、その中でどれが最高の教えであるかという、ひとつの判定方法として、各宗派によってさまざまな教相判釈が行われた。




最古の教判は、竺道生(じく どうしょう)によるといわれるもので、以下の4種に分けられた。


1 善浄法輪(ぜんじょうほうりん) - 在家信者のために説いた


2 方便法輪(ほうべんほうりん) - 声聞縁覚菩薩のために説いた


3 真実法輪(しんじつほうりん) - 法華経を説いた


4 無余法輪(むよほうりん) - 大般泥洹経(だいはつないおんきょう法顕(ほっけん)訳の涅槃経前半部のみ)を説いた



次いで、慧観(えかん)の五時の教判が提唱される。


5 鹿野苑(ろくやおん)四諦転法輪(したいてんぽうりん)を説いた


6 各所で大品般若経(だいぼんはんにゃきょう)を説いた

7 各所で維摩経(ゆいまきょう)・梵天思益経(ぼんてんしやくきょう)を説いた


8 霊鷲山(りょうじゅせん)法華経を説いた


9 娑羅双樹(しゃらそうじゅ)林で大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)を説いた



慧観は、この五時を定めて、五時の教判の源流を創始したとされる。


道生・慧観ともに、法華経を訳した鳩摩羅什の筆頭の弟子である。また両者は涅槃経の解釈に差異があり、慧観が道生を批判したりするが、両者ともに教判上では最高の経典は涅槃経であると位置付けていた。


今日、五時の教判といえば、天台宗のものが有名だが、もともとは慧観の提唱した五時がその始めである。これにより、さまざまな教相判釈が行われた。したがって天台宗の「五時八教の教判」は、道生・慧観にそのルーツを見ることができる。