法相宗(ほっそうしゅう)
法相宗(ほっそうしゅう)は、インド瑜伽行派(ゆがぎょうは。唯識派)の思想を継承する、中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つ。唐代、638年(貞観19年)中インドから玄奘(げんじょう)が帰国して、ヴァスバンドゥ(世親(せしん)、vasubandhu)の『唯識三十頌』(ゆいしきさんじゅうじゅ)をダルマパーラ(護法、dharmapaala)が注釈した唯識説を中心にまとめた『成唯識論』(じょうゆいしきろん)を訳出編集した。この論を中心に、『解深密経』(げじんみっきょう)などを所依の経論として、玄奘の弟子の慈恩大師 基(き。一般に窺基(きき)と呼ぶ)が開いた宗派である。そのため、唯識宗・慈恩宗とも呼ばれる。
この時代の仏教宗派とは後世の宗派とは異なり、学派的なものであり、寺が固定されたり、教団となったりすることは少ない。また、基と同じ玄奘の門人である圓測(えんじき)の系統も広義では法相宗と呼び、門人の道證(どうしょう)の時代に隆盛を迎えたが以後に人を得ず開元年間には基の系統に吸収されてしまった。
玄奘と基が唐の高宗(こうそう)の厚い信任を得たことから、法相宗は一世を風靡した。しかし、その教義がインド仏教を直輸入した色彩が濃く、教理体系が繁雑をきわめたこともあり、武周朝(690年 - 705年)に法蔵の華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰え、安史(あんし)の乱や会昌の廃仏によって致命的な打撃を受けた。その後、宋・元の頃にシナ仏教史では、法相宗は姿を消したと考えられているが、詳細は不明である。