ダライ・ラマ ガンデン・ティパとの関係
ダライ・ラマはゲルク派の最も有名な僧侶であり、事実上、ゲルク派の総帥とか宗主のように扱われることがあるが、ゲルク派の管長ではない。本来は総本山ガンデン寺の座主(ガンデン・ティパ)がゲルク派の最高指導者である。ガンデン・ティパはゲルク派の学僧の頂点に立つ役職であり、宗祖ツォンカパの後継者としてゲルク派の教法を管掌する法主の立場にある。その上座にはダライ・ラマとパンチェン・ラマ以外座ることを許されなかった。ガンデン寺における席がダライ・ラマのそれより高いことから、ゲルク派内での宗教上の格式はダライ・ラマよりも上位にあると解釈することができる。
16世紀、ゲルク派の教勢拡大に伴って他派との摩擦が生じた際、政敵であったカルマ派のカルマパなどと比べると、ゲルク派の教主であるガンデン・ティパは交代制で任期が短かったため、求心力やカリスマ性を獲得し難い面があった。ダライ・ラマは、そのような時代にデプン寺とセラ寺の座主を兼任して事実上のゲルク派の最高指導者となった学僧ゲンドゥン・ギャツォ(ダライ・ラマ2世)、そしてその転生者とされたスーナム・ギャツォ(ダライ・ラマ3世)に始まる転生系譜であり、ゲルク派の統合の象徴であった。