部派仏教


部派仏教(ぶはぶっきょう)とは、インドを中心に釈迦の死後百年から数百年の間に分裂・成立した20の部派の総称である。分裂以前の仏教を「初期仏教」(「原始仏教」)という。部派ごとに各自の『論書』(アビダルマ)を作成して自説を確立・発展させていったので、アビダルマ仏教とも呼ばれる。



釈迦の死から100年後ごろのアショーカ王(前3世紀)のころ、仏教教団は上座部(テーラワーダ、theravāda、sthaviravāda)と大衆部(だいしゅぶ、マハーサンギカ、mahāsāṃghika)とに分裂した。これを根本分裂と呼ぶ。原因は戒律や教理の解釈の対立(十事に関し、第十の金銀銭の布施を受け取ることの緩和如何)であるとする説などがある。



以後分派が繰り返され、上座部系11部派と大衆部系9部派のいわゆる「小乗20部」が成立した。この20部派とこれらの部派が伝えた経・律・論の教説が「部派仏教」と呼ばれる。その代表的な部派には、


· 西北インドの上座部系説一切有部(せついっさいうぶ)

· 中西インドの上座部系正量部(しょうりょうぶ)

· 西南インドの上座部系統

· 南方インドの大衆部

などがある。



大乗仏教から特に批判を受けたのは上座部系の説一切有部である。彼らがもっとも多くの比丘(びく)を擁していただけでなく、三世実有・法体恒有を主張し、存在としてのが実在するとしたので、存在がであるとした大乗仏教から批判を受けた。しかし上座部系の法蔵部経量部の教理は大乗仏教の教理と一致することが多く、大乗仏教成立の起源に彼らの教理の影響があったと考えられている。


このような対立により、大乗仏教側からは(特に説一切有部に対し)小乗仏教と蔑称したとされており、説一切有部が部派仏教の中で特に有力であったことから、現在では大乗仏教と言う呼称に対応して上座部や部派仏教全体を含めて小乗仏教と呼ぶこともある。


スリランカに伝えられた上座部は特に「南方上座部」(赤銅)と呼ばれ、ミャンマー・タイ・カンボジアなどの東南アジア諸国に伝わり今日にいたっている。

部派仏教は、欧米では Early Buddhist schools または(しばしば分裂前も含めて)Early Buddhism(初期仏教)と称される。Nikaya Buddhism と呼ばれることもあるが、この語は1980年にハーバード大学の永富正俊が使い始めた用語であり、歴史が浅い。