東大寺大仏殿の戦い 戦いの状況
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同年8月25日、久秀の援軍要請をうけ、畠山高政が率いる根来衆が再び出軍し、三人衆軍に属していた飯盛山城の城主 松山安芸守が裏切り畠山軍に加勢した。9月上旬頃、畠山軍が紀ノ川沿いに大和に入国してきたが、これに対して岩成友通、篠原長房連合軍が迎撃にあたり紀伊に撃退した。しかし、飯盛山城は未だ松永軍に属しており、背後の憂いを断つためにそのまま河内に兵2千をすすめ、飯盛山城を攻囲した。
多聞山城や飯盛山城の周辺で戦いが続いている中、寺社から久秀へ音物(いんもつ。賄賂)が届けられるようになる。『戦国合戦大事典』によると、これは久秀に寺社を焼かれない為の切実な配慮ではなかったかと記している。これが功を奏したのかは解らないが、以後両軍で小競り合いが起きたとしても、寺院を焼く事は無くなっていった。またこの小競り合いが続いている中、松永軍は飯盛山城の救援軍として兵500を向かわせた。