念佛宗三寶山無量壽寺 開祖




開祖 圓心定(えんしんじょう、通称:久世太郎(くせ たろう)/本名:福井真尚/別称:戸倉貞和)は、真言宗総本山高野山管長真言宗総本山金峰山寺第395世座主琳真(りんしん)大僧正より受戒得度を受けて弟子となった。高野山を下り、京都嵐山に庵を結び、釈尊が説かれた『念佛』を拠りどころとして、一切衆生済度(生死の苦海から衆生を救い、彼岸へ渡し導くこと)のため、宗教法人「無量壽會」を発足後、「念佛宗 三寶山 無量壽寺」を開宗した。開祖は、善知識(ぜんちしき)と呼ばれており、諸外国を歴訪し、仏教の教主・釈尊の原点に戻れと提唱している。1993年3月、第二祖に嗣(ほうし)を授け、同1993年5月、法主(ほっす)の座を退き、隠棲。



宗教法人設立より12年前の「週刊サンケイ」(1967年発行)によれば、名刺の肩書きに"心霊判断"、"運命学"とあり、いろは四十八文字サイコロの組み合わせにより人の運命を予言するサイコロ予言者と紹介した。感銘を受けた有名人やその夫人たち3,000人近くが名を連ねて"久世先生後援会"を結成、世の中の注目を浴び一世を風靡したとある。1976年4月に、元信徒の1人が宗教に名を借りた詐欺行為とし損害賠償を求めて神戸地裁尼崎支部に仮処分申請したのをきっかけに"被害者同盟"を結成、祈とう・鑑定料の返還を求める動きが表面化した。翌1977年4月、祈とう・鑑定はもとより、一切の『現世利益』(仮門)を廃し、『』(真門)一本になった。その後、1979年12月に前身である宗教法人「無量壽會」を発足した。

教団は、「月刊無量壽211号」(1997年2月)において、その歩みを振り返り、まず、開祖は、一切衆生を済度するに当たって、『仏法』の真門に入らしめる方便(衆生を真実の教えに導くため、前段階で仮にとる便宜的な分かりやすい手段)として、『現世利益』の仮門より始めた。すなわち、迷いの衆生を救う手段として、人々の悩みや苦しみを、古代より仏教に伝承されてきたサイコロによって、それを方便として第一歩を踏み出したとしている。





第二祖及び第二代法主

郡、清水、宮川は、開祖に師事し、1993年平成5年)3月、命名を得て、「真海」、「慶真」、「真空」と号し、第二祖を相続。第二祖のうち、郡 真海が開祖より法燈を継ぎ、第二代法子(ほっす)となる。

第二代法主略歴:大阪医科大学卒業後、医師免許取得・医学博士学位取得、大阪医科大学講師を経る。