摩多羅神(またらじん)
摩多羅神(またらじん、あるいは摩怛利神:またりしん)は、天台宗、特に玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)における本尊で、阿弥陀経および念仏の守護神ともされる。常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう、常行堂(じょうぎょうどう))の「後戸の神」(うしろどのかみ)として知られる。
『渓嵐拾葉集』(けいらんしゅう ようしゅう)第39「常行堂摩多羅神の事」では、天台宗の円仁(えんにん)が中国(唐)で五台山(ごだいさん)の引声念仏(いんぜいねんぶつ)を相伝し、帰国する際に船中で虚空から摩多羅神の声が聞こえて感得、比叡山に常行堂を建立して勧請し、常行三昧を始修して阿弥陀信仰を始めたと記されている。
しかし摩多羅神の祭祀は、平安時代末から鎌倉時代における天台の恵壇二流(えだんにりゅう)によるもので、特に檀那流の玄旨帰命壇の成立時と同時期と考えられる。
この神は、丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)のニ童子と共に三尊からなり、これは貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち、痴)の三毒煩悩の象徴とされ、衆生の煩悩身がそのまま本覚(ほんがく)・法身(ほっしん)の妙体であることを示しているという。
江戸時代までは、天台宗における灌頂(かんじょう)の際に祀られていた。民間信仰においては、大黒天(マハーカーラ)などと習合し、福徳神とされることもある。更に荼枳尼天(だきにてん)を制御するものとして病気治療・延命の祈祷(きとう)としての「能延六月法」に関連付けられることもあった。また一説には、広隆寺(こうりゅうじ)の牛祭の祭神は、源信僧都(げんしんそうづ)が念仏の守護神としてこの神を勧請して祀ったとされ、東寺の夜叉神もこの摩多羅神であるともいわれる。
形象
一般的にこの神の形象は、主神は頭に唐制の頭巾(ずきん)を被り、服は和風の狩衣(かりぎぬ)姿、左手に鼓(つづみ)、右手でこれを打つ姿として描かれる。また左右の丁禮多・爾子多の二童子は、頭に風折烏帽子(えぼし)、右手に笹、左手に茗荷(みょうが)を持って舞う姿をしている。また中尊の両脇にも竹と茗荷があり、頂上には雲があり、その中に北斗七星が描かれる。これを摩多羅神の曼陀羅という。
なお、大黒天と習合し大黒天を本尊とすることもある。
祭礼
この神の祭礼としては、京都太秦広隆寺(うずまさこうりゅうじ)の牛祭が知られる。