妙覚(みょうかく)
妙覚(みょうかく)とは、深遠で微妙(みみょう)な悟りをいう。また菩薩五十二位の最上位で、菩薩が修行して到達する最後の階位である。
一つ前の等覚(とうかく、とうがく)の位にいる菩薩が、さらに一品(いっぽん)の無明(むみょう)を断じてこの妙覚位に入る。なお一切の煩悩を断じ尽くした位で、仏・如来と同一視される。
声聞・縁覚の二乗(にじょう)は、自覚があるが覚他(かくた、自ら悟った真実の法を説いて他を悟らせ、生死の迷いから解法させること)の功がない。菩薩は自覚・覚他共にあるが、いまだ円満ではない。これに対し仏陀は自覚・覚他の二覚円満にして不可思議であるとされる。
「妙」の一字のみで一つの仏教思想であり、この妙の一字の思想を「妙法」(みょうほう)ともいう。その妙法を悟る境地を妙覚という。
説かれている仏典
法華経(妙法蓮華経)の二十八品のうち、妙法蓮華経方便品(ほうべんぼん)第二、妙法蓮華経如来寿量品(じゅりょうぼん)第十六で主に説かれている。法華経の題名、妙法蓮華経の最初の一字が示すとおり、主に法華経において説かれた教義である。
「爾の時に世尊。三昧より安祥として起って。舎利弗に告げたまわく。諸仏の智慧は。甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞。辟支仏(びゃくしぶつ)の。知ること能(あた)わざる所なり… 無数の方便をもって。衆生を引導して。諸の著を離れしむ…(方便品)」等と、釈尊が弟子に対し機根(きこん)が整う今まで方便を説いていたことを明かし、これから説く法は、いままで秘(ひ)し遅らせてきた仏の第一の智慧であることを述べている。方便品第二で始まり、如来寿量品第十六で主なる教義は説き終えている。
法華経を文上で最も深く理解したとされる中国の僧、天台大師(538-597)の教説『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』において詳しく講義されている。