龍樹の空観(くうがん)



この空の理論の大成は、龍樹の『中論(ちゅうろん)などの著作によって果たされた。 龍樹は、存在という現象も含めて、あらゆる現象はそれぞれの関係性の上に成り立っている事を論証している。この関係性を釈迦は「縁起」として説明しているが、龍樹は説一切有部(せついっさいうぶ)に対する反論というスタンスを通して、より深く一般化して説き、関係性に相互矛盾や相互否定も含みながらも、相互に依存しあっている事を明らかにした。これを空もしくは「空性」と呼んでいる。

さらに、関係性によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「ユニークな実体」(=自性)はない事を明かしている(最高の仏である如来だけがしかし、「自性輪身」(三輪心(さんりんじん)の一つ)と呼ばれ、自性であるとされている)。これによって、縁起によって全ての存在は無自性であり、それによって空であると論証しているのである。龍樹の空はこれから「無自性空」とも呼ばれる。


しかし、これら関連性は現象面を人間がどのように認識するかとは無関係のものである。これを人間がどう認識し理解して考えるかについては、直接的に認識するという事だけではなく、人間独自の概念化や言語を使用する事が考えられる。龍樹は、人間が外界を認識する際に使う「言葉」に関しても、仮に施設したものであるとする。

『大品般若経』の中に以上の内容が含まれているため、龍樹自身がこの経典編纂に携わっていたのではないかという説もある。

この説が中国などでは、直接認識した世界と、言語によって概念的に認識した世界を、それぞれ真諦(しんたい)俗諦(ぞくたい)という2つの真理があるとする。言葉では表現出来ない釈迦のさとりは真諦であり、言葉で表現された釈迦の言葉を集めた経典などは俗諦であるとする、二諦説と呼ばれる。

さらに、龍樹は「無自性空」から「中」もしくは「中道」もほぼ同義語として扱い、釈迦の中道への回帰を説いている。