空(くう) 仏典の用例



§ 「常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ」 -- スッタニパータ1119

§ 「この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘(びく)がおり、比丘についていえば空(欠如)ではない」 -- 『小空性経』(中部経典、中阿含経



欠如と残るものとの両者が、空の語の使用と重なり説かれている。これから空を観ずる修行法が導かれ、空三昧(ざんまい)は無相三昧と無願(無作)三昧とを伴い、この三三昧を三解脱門(さんげだつもん)とも言う。 また、この用例は特に中期以降の大乗仏教において復活され、その主張を根拠づけた。 また、『大空性経』(中部経典、中阿含経)は空の種々相(例えば、内空と外空と内外空との三空)を示す。さらには、空と縁起思想との関係を示唆する資料もある(相応部経典、雑阿含経)。部派仏教における空の用例も初期仏教とほぼ同じで、上記の段階では、空が仏教の中心思想にまでは達していない。