三法印の大乗での扱い



「三法印」は、古来、小乗についていわれ、大乗では立てないとする説がある。『大智度論』では、三法印を説くことが小乗であり、大乗とも矛盾しないという。このような議論があることは、その背後にすでに三法印が小乗のものであるという説のあることを示している。

ところが『法華玄義(ほっけげんぎ)など中国の論師の著作では、明らかに「なぜ小乗で三法印を説き、大乗で一実相印を説くかというに、小乗では生死と涅槃とを別にみるからであり、大乗では生死即涅槃と生死に即して涅槃をみるからである」といって、大乗では三法印を説かないとする。

仏教と外の教えを区別する立場に立てば、「三法印」を仏教の旗幟(きし・立場、主義主張のこと)とすることも、必ずしも斥(しりぞ)けられることはなく、むしろ仏教の特色を明らかにするものであるといえる。