帰宅 そして 色々あった8月、9月 | いつも笑顔をありがとう

いつも笑顔をありがとう

娘が生後13ヶ月の時に、乳児重症ミオクロニーてんかん(ドラべ症候群)と診断。まだまだ育児にも手がかかりヘロヘロだけど、娘の笑顔に救われ、成長する姿に日々感動しながら、毎日笑顔で頑張ってます!


発作後のさらは、病院で2:30から5:00まで昼寝をしました。

目覚めた後は機嫌は悪かったものの
私が歌を歌うと一緒に歌ったり
自分の名前を言ったり(さぁーちゃん)

いつものさらに戻ってきたので
採血だけして夕方6時頃には家に帰ってこれました

でもやっぱり発作とミダゾラムの影響で眠気が強いみたいで、さらは2時間近く昼寝をしたのに、帰宅途中の車の中でまた眠り、結局夜7時まで寝てました


起きてからは、目立ったふらつきも無く、元気に遊んでいました

でも発作後はやっぱり不安です。
今日の夜は眠れぬ夜になりそうですチーン


さて、タイトル通り8月・9月は本当に色々あり、幸せを感じたり、辛い別れがあったりと気持ちが落ち着かない2ヶ月間でした


私、アラフォーにして2人目を妊娠しました  

でも、赤ちゃんはお空に帰っていってしまいました。


私は生理が遅れる事は滅多に無いので、8月に1週間遅れた時には

『あー、いよいよ閉経かぁ~

なんてって思っていたんだけど、
妊娠検査薬がまだ残っていたので、念のために検査してみたら、線がくっきりと出てるじゃありませんかポーン


でもフライングって事もあるかもビックリマークと思い
もう1週間待ってからもう一度検査してみたら、やっぱり陽性デレデレ

すぐに旦那に報告し、さらを出産した産婦人科に予約を入れ、3人で8月14日に病院へ行ったら、妊娠5週目で少しだけど心音も聞こえました。

ツワリも本格的に始まり、食べ悪阻と匂い悪阻で毎日マーライオンチーン

さらの面倒を見ながらのツワリは辛かった~。

9月18日に10週目の検診で産婦人科へ行き、お腹に超音波をあててすぐに先生の顔色が曇るがわかりました。

そして先生から

『良くない。赤ちゃん成長してないよ』
『心拍も止まっちゃってる』

って言われました。

超高齢だし流産の確率が高いのは知っていたので、何が起きても全て受けとめる覚悟はしていたけど、ツワリ全開だったから半分は先生の話を理解出来ても、半分は現実を受け入れられない自分がいました。

でも旦那をみたら、今にも泣き出しそうな顔をしてて

さらも不安そうな顔をしながら、私の顔を見てて


泣き出したい気持ちをグッとこらえました。

先生からは、
『手術しないと大量出血になり、危険だから早く手術した方がいい。』

と言われ、翌日の19日に稽留流産の手術をして、赤ちゃんとお別れしてきました。


旦那はベソかきで、さらには不安な思いをさせたくないから、2人の前では普段通りに明るく接するようにして、手術室に入り手術を受ける前に今まで溜まってた涙を全て出してきました。

そして、手術前に先生に無理を言って、もう一度超音波で赤ちゃんを見せてもらいました。

2センチにもなっていない小さな小さな我が子でしたけど、私たち家族の所に来てくれて本当にありがとう。


そして、さらゴメンね。
超音波写真を見ては『チュウ』をし、
今でも毎日のように、『ベービ』
と言いながら私のお腹を触ってきます。 
(超音波写真はさらに見つからないよう、引き出しの中にしまいました)

さらに『ベービはお空に帰っちゃったんだよ~。また来てくれるといいね』
って毎日のようにお空にむかって話してます。


今年の8月・9月は
赤ちゃんを授かったり、さらが発作ゼロで元気に過ごせとても幸せでした。

辛いことがあった後には必ずハッピーが訪れる!と信じて、毎日笑顔でさらと過ごしてます。