最近の日課は

祈りに始まり祈りに終わる。

 

 

 

300名以上の方に祈りを送る。

 

 

 

 

ひとりひとり丁寧に

祈りの内容を読ませてもらいながら

 

 

 

 

この地球には

どうしてこんなにも

苦しい事、理不尽なことがあるのだろう

悩みは尽きないのはなぜだろう

 

 

 

苦しかろう、辛かろう


 

 

こんな世知がない世界を見て

みんなの希望や苦しみの合間っている現実を感じると

(私はエンパス体質なようで、人の思いが自分のことのように入ってきて感じてしまう)

 

 

思わず出家して

宇宙の心理を学んで

人の苦しみを消し去る方法を追求し

神さまの力を借りて

なんとかしたくなる。

 

 

そして

私ができること

平和のためにできることは何かないのか

そう、思わずにいられない。

 

 

 

祈りの中でも

こどもが不登校になって学校に行けません

 

というものや

 

こどもがやる気がそがれていて、何も取り組む気力がありません

 

 

こどもが不安なく学校に通えますように

 

 

というものも少なくない

 

 

また、病気を患っていて

学校で馬鹿にされたり、過ごしにく日々から開放されますように

 

 

という

「こどものこと」が後を絶たない。

 

 

 

 

そもそも

学校が、そんな怖いところであっていいはずない。

誰かを批判したり、小さくなる場所のはすがない。

 

学校は、みんなが安心、安全で

自分のできる事や喜びを増やして

羽ばたいていく場所であって欲しいと願ってる。

 

 

 

なのに、

なぜこんな事になるのだろう

どこで、こうなっちゃうんだろう。

 

 

 

 

やりきれない

 

 

 

祈りながら

やりきれない思いになる。

本当に苦しくなって涙が出る。

 

 

 

どうか、どうか、しあわせでいてください

そう、祈らずにいられない。

 

 

 

そして、こどもを思うお母さんの愛は

宇宙ほど大きい。

 

 

 

こどもの苦しさを

変わってあげられたら変わってあげたい

 

 

それが親心なのかもしれない。

 

 

 

 

うちの母親も何回、病気の兄を見て

「私が変わってあげられたら」と言っていただろう。

 

 

火葬場で、兄が入っていくところを見て

母は倒れて泣き崩れた。

私は母が大好きだから、その母を見ていて苦しかった。

 

 

そして、私がその苦しさを変わってあげられたら

って思った。

 

 

 

 

 

人は

 

愛する人が苦しんでいることが

何より苦しいのかもしれない

 

 

自分の苦労は、なんとか超えられるのかもしれない

 

 

 

でも、

変わってあげたいのに変わってあげられない

 

 

 

そんな無力な自分が苦しい。

だから、救いを求める思いはずっと存在している。

 

 

講座ではよく

「相手は大丈夫。自分が自分を大丈夫だと思えれば

相手の強さも安心して見られるから」

と話す。

 

 

だから、結果的には

自分の強さと

相手の強さを見て

 

本質の強さ、生きる強さを

見ようとする。

視点を変える事が大切だと思う。

 

 

 

 

でも、その中で私は

祈りの最後に

「幸せな夢で終わりますように」

と言葉を残す。

 

 

 

不思議に思うかもしれませんが

この世界は

「夢」の世界の気がするのです。

 

 

なぜなら

宇宙は「愛」の思いで出来ている

 

愛を拡張したくて

宇宙ができた。

 

 

動機は愛

そして

自分も相手も強いのは「愛」とは強いから

その愛で出来ている私たちは

やっぱり強くて大丈夫なのだ。

 

 

 

なのに、愛でない事が起こるのはなぜ??

 

 

それは「愛」という

真実から離れてしまった

自我が見ている「夢」だからだと思うのです。

 

 


 

 

これは、

奇跡のコースのどこかに書いてあったと思う。

 

 

 

 

 

 

難しすぎりと言って

読もうとしない意志の弱い私をまた

責めているのは

きっと自我が

「もっともっと覚醒しろ」と囁いている由縁なのかもしれない。

 

 

じゃ、

「夢なんだから苦しくったって夢ならいいじゃん」

と思うかもしれませんが

自我の夢の中でも

「幸せな夢」に変えることはできる。

 

 

 

 

そして、その由縁は

二元性という

「愛があるなら苦しみがある」

という概念すら夢なんだと思う。

 

 

 

そこで、夢から覚めるにはどうしたらいいのかというと

「祈り」

 

 

今の私は結局ここにたどり着く。

 

 

「苦しいね、辛いね、大変だね。」

 

 

その人生ドラマを一緒に見た後に

祈りによって

私がドラマから、降りる。

 

 

誰かのことを祈っていても

結局

私が見ている世界

私の分離した心が作り出している夢の世界

 

 

 

だから、誰か違う方の願いであったり

苦しみであったとしても

 

私が」

ドラマから降りて、

愛だけみると

間違った思考体系が浄化され

世界が少しだけ、キレイになった気がする。

 

 

 

それでも、人間だから

またすぐに

ドラマに戻る。

 

 

苦しいね、辛いね、大変だね。

この世界は世知がない

 

という思いに戻り

また祈りによって訂正される。

 

 

「この夢が幸せな夢で終わりますように」と

また祈る。

 

 

 

 

祈りの企画は、とても多くの人がご参加してくださって

今のペースでは

夏至までに終わるかわからない。

 

 

 

あと少しで締め切ろうかな?

と申し込みが入るたびに

また、私の心は揺れる。

 

 

 

でも、今は

できる限りやらせてもらいたいと思う。

 

 

 

だから、もう少し

引き続き祈りをしていきますね。

 

 


 

 

手から手へ・心から心へ・愛から愛へ~cycle of love~

 

 

 

 

 

あと、今日は

ソウルフルファミリーのLiveの日です。

 

 

ご参加者のみなさん

先週はお休みしてごめんなさい。

 

楽しみにしていてくださいね。