感情を制御するのと味わう事は違う

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こんばんは。華香です。

 

「徒然が好き」

 

という方が結構いらっしゃいます。

ありがとうございます。

 

そもそも、このコーナーは

私の気持ちが

持ちきれなくなって

 

どういう風に整理すれば良いか分からなかったので始めた

夜中のつぶやきです。

 

夜って、感受性豊になるからね。

 

 

 

 

さて、パーティーも昨日で終わり

明日の仙台を最後に

とりあえず

出版祭りも一段落つきます。

 

私の中でも

一段落ついたような…つかないような…

 

ちょっと複雑な気持ちを抱えてます。

 

わたしを繋いでいたものが

消えてしまうような感覚もあるし

 

 

ひとつの物語が終わってしまう感じもある。

 

 

本当は、これから本は歩いていくし

むしろ本番をあと数ヶ月で迎えるんじゃないかな。

 

4月の今の段階は導入なんじゃないか

とすら思う。

 

だから、全然終わりじゃないんだけど

 

一応、一区切り…ですね。

 

9月からずっと意識を向けてきたから

そこに区切りを付ける事自体

ちょっと複雑

 

いろんな思いが入ってるからね。

 

感情の事もしっかり書いているし

人との繋がりの事

悲しみの理由

これからの生き方

 

それらの事を私の中にあった泉に

光を当てて

しっかりと書き出したから

 

今、その自分で搔き出した思いを

追体験している感じ。

 

中でも一番やっかいなのは

「感情」なのかもしれない。

 

私たちは五感を通じて世界を知る

 

そして感情を通じて自分を知る

同時に相手を知る

 

感情を使って、

好きか嫌いか、この人と共にいたいか離れたいか

初めて分かる。

 

 

要するに感情とは

人と人が繋がるための大事な糸

 

 

 

私はね

悲しいとか、切ないとか、苦しい

という感情は

 

神さまがそっと残してくれたものなんじゃないかと思うのです。

 

なぜなら

こういう感情があるからこそ

 

人は誰かを求めたり

一人でいたくない

と繋がりを求めるから。

 

この世界は、たった一人では生きられない

 

だからこそ

一見ネガティブと言われる感情が

ここにある。

 

それは、きっと

無くてはいけないものなのかもしれない。

 

だから、悲しみを感じ切る事によって

自分が誰と生きて行きたいか

本当の自分の気持ちに気づくのです。

 

大事な人の存在が分かる。

 

苦しい感情は

本当のピュアな自分を見つける事が出来る

ものすごい神さまのシステムなのです。

 

でも、時に私は

この感情を前に

どうやったら止められるのか

どうしたら切れるのか

 

そんな事を試みてしまう事があります。

 

 

感じる事は大切

だから、そこは自由に味わっていきます。

 

でも、感情を感じるのと

感情のままに生きる事は違うと思います。

 

私は、感情をそのままぶつけて

誰かを傷つけるのはイヤなのです。

 

相手が不幸になるんだったら

やっぱり見直しをしたいと思うのです。

 

自分を貫く事と

感情を貫く事は

 

似ているようで

大きく私の中では差別化されていいます。

 

一番の物差しは

誰かを傷つけて、

不幸にしてまで

感情を貫いたり、当てたい、走りたいとは思わない。

 

それは理性がないから。

 

でも、最近は

ここを履き違っている人も多いのです。

 

自分の好きを貫けば

宇宙に愛される

 

と思う事もしかり。

 

でも、ほんの少しの領域で

それは違うのです。

 

私の場合

相当過敏症の部分があるので尚更その境界線がはっきりしているのです。

 

こどもの時に感情をぶつけられて

悲しい思いをしたから、

制御装置が出来ているのもあると思います。

 

けれどやっぱり

良い、悪いではないけど

感情を貫くのと

味わうのって違う。

 

相手にぶつけるものは

相手の事を思ってしていきたい。

 

相手に感情をぶつけて

悲しい顔を見たくはない。

 

それは悲しい顔をされる私も悲しくなるから。

 

嬉しい顔を見ると

私も嬉しくなるから。

 

そんな事を思う夜なのでした。