好きな物事に対して好き、というのはなかなか難しい。第三者に「私はこれ好きなんだよね〜」というのも難しいが、一番難しいのは好きな人、あるいは好きなものを作った当人にそれを告げることである。

まず単語が出てこない。ブログとか同人とかを書くときにはスラスラと手が動くのに、「ちゃんとした感想」を書こうとすると途端に手が止まる。「好き」とか「尊い」みたいな単語しか出てこない。いや尊いはないだろういい加減にしろよオタクよ。

じゃあ頭使って発言しようとすると、いきなり評論じみた発言になってしまい、いや、自分どの立場から物言ってんの?とこれまた頭を抱えることになる。何らかの創作者にとって、自分の魂を削った創作に対してフィードバックを貰えることは基本的に「嬉しいこと」だとは思うので積極的に感想送りたいのだが、おそらくその創作者が求める感想は「この作品に対して受け手は何を思ったのか」であり、評価ではないと思うのだ。そうなるとまた「尊い…」に逆戻りである。


人に対しても同じであり、恋人に「自分の好きなところは?」と聞かれるのは若干困るものがある。例えば「優しいところ」と答えたとする。じゃあ優しくないときのその人は嫌いなのかというと、そうではないのである。怒っている彼氏に私はあまり近づきたいとは思わないが、だからといって好き嫌いはまた別の話である。そして「優しさ」だけが好きというわけでもなく、「優しさ」を作り上げた彼固有の物の見方、背景も好き、ということなのだが、これを簡潔に説明しようとすると大変骨が折れる。ので「全部好き」と言ってしまうのであるが、これはこれで手抜きだ、考えろと言われてしまうのである。どうしろと。


好きな物事に好き、と伝えることは、好きの熱量が大きいほど難しい。これと似て非なるものは「嫌いなものに対して嫌いとdisること」である。こちらは極めて簡単だ。

好きな対象には多かれ少なかれ「嫌われたくない」という意識がはたらく。よって言葉も必然的にぼかすような表現を使いがちである。しかし、嫌いなものにはそうした意識はないので、欠点を辛辣に、おそらくは正しくあげつらうことができる。「ふわっとした肯定意見」と「的確かつ辛辣な否定意見」では後者が強く感じるのは当たり前の話である。否定意見で筆を折る人がいるのも頷ける。

「好きな物事を好きという代わりに嫌いな物事を嫌いという人」が(主にネット上に)大量発生していて、これが昨今の殺伐とした空気の原因ではないかと思えてくる。


人は「好きな物事」で定義されると思う。よく聞いているお気に入りの音楽、よく食べているお気に入りの食べ物、よく着ているお気に入りの服を教えてもらえれば、かなりの精度でその人の事を知ることが出来るだろう。逆に「嫌いな物事」はその人の何をも指しはしない。例えば私はセロリが苦手だが、それによって私の輪郭は何一つ浮かび上がってこないだろう。


私は音楽好き、ゲーム好きを自称しているが、意外と困る質問が「音楽(ゲーム)何が好きなの?」である。○○という音楽が好き、と言ったところでこの人○○知らないだろうしなあ、と思うと話を続ける気にならず、「え、うん、まぁ…」などと濁してしまう。典型的なコミュ障である。しかも私は音楽でもゲームでもついでに酒でも手当たり次第に、というタイプでアーティストなりゲームのシリーズなりを追いかけているタイプではないから余計である。聞いて驚けゲーマーのくせにドラクエ一つもクリアしたことがないのである。ちなみにビルダーズは別。


「好きな物事を好きと言おう!」という流れの文章なので言っておくと、好きなゲームはゼルダブレワイである。スイッチ持ってるなら絶対やって。あとキャラソンの類をよく聞くので、サクラ大戦とうたプリはきちんと履修した。音楽は基本歌詞を聞かずメロディで決めるタイプで、カラオケで歌詞を知り驚くことが多々ある。ボーカルに和音のある歌が好き。