「残留孤児の訪日調査、初の見送り」
…候補者が見つからない、とのことで、
調査を始めた1981年以降、見送りは初めてのことらしいですわ。
ひとつの「日中の戦後」時代が終わろうとしているんでしょうかねぇ。
実は、ウチは大学を卒業した後、
1年間、「京都府中国帰国者自立研修センター」(現在は廃所)で、
日本語教師兼生活相談員として、
残留孤児とその配偶者、及びその二世の方々のお世話をさせていただいてましてん。
ご存知のとおり、
戦中に中国東北部へ渡り、
敗戦後の混乱で帰国できなかった方々が、
国交正常化後、ようやく肉親を見つけ、
日本に家族と共に帰ってこられるわけですが、
日本語はおろか、自分の日本名も覚えていない方が殆どですわ。
また、育てられた環境によって、
例えば北京やハルピン等の大都市から来られた方は、
日本語の勉強をしても、比較的前向きなんですけど、
黒竜江の農村出身の方であれば、
中国語の漢字も書けない、勉強の仕方がそもそも分からない、
貧困と肉体労働に疲れきって、そんなモチベーションすらない、
そんな、色んな方々の中での日本語指導でしたわ。
一方、生活相談員としては、
一大決心をして、育ててくれた養父養母を中国に残し、
中国人である配偶者を連れて日本へ来ても、
言葉の壁、文化の違い、不安や後悔で、
ひたすらお話しを聞く、そんなこともあったり、
二世の方には、とにかく経済的に自立してもらおうと、
職業安定所や工場見学に連れ回す、というようなこともしておりました。
…というようなことを、
今日、英会話のレッスンがあったので、
日中関係と貧困の話題になったとき、
この話をJ老師に頑張って英語で話しましてん。
J老師、鼻と目を真っ赤にして、
聞いてくださいましたわ。
そして、アドバイスも。
「太太、子供が”捨てられる”(大陸に残される)というのは、
"thrown away"
よりも
"abandoned"
の方が、いいですねぇ。」
なるほど。
アジア人の先生に英語を習うのは、
アジアなニュアンスを理解しあえるので、ちょっと嬉しいかも。