●茶道の源流「宋」について知る

 

中国では、大唐世界帝国が

907年に滅びたあと、

幾つもの王朝が短期間に

交代する五代十国時代を経て、


960年に宋が建国されます。

 

これが、「唐宋革命」と呼ばれる

大変動を引き起こしました。

 

宋の繁栄をもたらした第一の要因は、

北方の強国キタイ(契丹)への懐柔策。


お金や絹布を贈ることによって

戦を避けて南北が澄み分けるシステム

(澶淵の盟)です。

 

これによって三百年の平和の基礎を築き、

産業や文化を発展させました。



【政治・軍事革命】

皇帝による直接面接制を導入し、

忠誠心に厚い優秀な官僚を集めます。

それによって貴族や

外戚を政治の中枢から排除しました。


引用


【農業革命】

宋の時代に、チャンバ王国(今のベトナム)からチャンバ米という長粒種の稲が入り

普及します。


これは収穫が早いので、

長江周辺では米と麦の

二毛作が可能になりました。

 

それによって食料生産がいわば二倍になり、

人口も倍増しました。

 

それまでは漢や隋・唐時代の

五、六千万人がピークでしたが、

宋の時代には

人口が一億人近くにまでなったのです。



引用


【海運革命】

唐から宋に移る頃にジャンク船が

登場します。


この船は竜骨が無く、

その代わり船体に穴が開いても

浸水を一部の区画に留める

水密隔壁が内部に設けられていました。





【飲茶革命・火力革命】

唐の760年にすでに「茶経」という

本が出版されていますが、

当時のお茶は貴族階級が嗜むものでした。

 

やがて宋の時代には広く

市民がお茶を飲むようになります。

 

そのため茶碗などの

陶磁器の需要が急増し、

生産も大規模になりました。


有名な景徳鎮は、この時代の景徳

という年号(1004~1007)

からつけられたものです。


 

宋の青磁や白磁は、

色彩豊かな唐三彩に対し、すっきりした

美しさで知られています。

 

また石炭やコークスが燃料に

使われ始めたのもこの時代で、

それによって陶磁器の生産性が高まり、

食べ物を高温で炒めたり

揚げたりする現代の私たちが食べている

中華料理の原型ができあがりました。


引用



【都市文化革命】

唐の都・長安は人口百万人といわれた

世界有数の大都市でしたが、

城壁に囲まれ、夜になると

門が閉じられて出入りができない、

全体としては暗い街でした。

 

しかし、宋の開封は運河に向かって

開かれた都ですから、

人々が夜遅くまで活動し、

国際ビジネスに従事する

ユダヤ人街もありました。

 

茶館が建ち並び、講談や芝居、

大道芸人が市民の人気を

博していたのです。


茶坊・茶肆ちゃしと

呼ばれる茶店が多数あったようです




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