利休道歌には棗の持ち方として


「棗には蓋半月に手をかけて
            茶杓を円く置くとこそしれ」


茶道を初めたばかりの頃には
棗を「蓋半月に持つ」という古を
されると思います。





実際、棗の蓋を
鷲掴みではなく
中指と親指で挟むように

上からそっと持ちますと
棗の表と指の間に三日月形の隙間ができ
そこを半月と言われています。


しかし、
私はこれが
なかなか分からなくて

実際棗を美しく持つことは
とても難しいと思っていました。


でもそんなある日
もっとも腑に落ちましたのは



親指と人差し指で持つことは
物をつまむ場合と同じで


人差し指は「知」の象徴であり
人差し指に集中して物を扱うことは
「知に走る」と云い
知覚的に物体を把握するばかりで
心に通じないのです。



そこで また
ふと思い出しました。

日野西先生に導いていただいた


「中宮寺観音菩薩半跏像面相」土門拳


しかし、
中指は物を「済度する指」であり

親指と中指で物を持ちますと
身体全体が物と一体となり
物と自分とが一つの心につながる
と云われています。


「人差し指の力は軽くし
              ただ中指に気をこめて持つ」


と先達の茶人は伝えております。


私はこれを知り

「棗には蓋半月に手をかけて」

意味や、深さが今頃になってやっと
分かるようになりました💧





このような些細な事ですが
どなたかの参考になれば幸いです。