いよいよ年の瀬になりました。

年末といえば 12月14日(旧)
赤穂浪士討ち入りの日ですね。


「赤穂城断絶」 (c)東映


この赤穂浅野家、
実は私の郷里茨城県笠間藩からの移封で、
赤穂四十七士 の多くは、


今回は【忠臣蔵と茶道】です。
(敬称略)


山田宗徧が師の宗旦の推挙により
晩年江戸にくだる

利休・少庵・宗旦所持「桂川」花入を
授かったといいます。




「桂川」香雪美術館所蔵


江戸に出た宗徧は宗旦門下の同門である
吉良上野介の屋敷に出入りをしていました。

それを知った赤穂浪士の一人
大高源吾が宗徧に入門し、
吉良邸での茶会の日取りを聞きつけ
討ち入ったと伝えられています。 


無事に本懐を遂げた赤穂浪士ですが

主君・浅野家の墓前 泉岳寺までの

この「桂川」花入を
吉良の首の代わりに使い
本物の首は万全を期し
舟で泉岳寺に運ばれたとの事です。

この籠花入「桂川」は
現在は香雪美術館に所蔵されています。 



私もやっと今年歌舞伎座で
仮名手本忠臣蔵」を、

なんと笠間の方々と一緒に
拝見させていただきました。面白かった~

新撰組のタンダラ羽織もここから始まった
されています。

新撰組初代局長の芹澤鴨も水戸藩でしたから
同じ郷里 茨城の先達  赤穂浪士には
特別な思いがあったと私は思います。


芹澤 鴨 ・凛々しい


土方歳三 ・美しい




それにしても

信長の茶会の翌日が「本能寺の変」だったり、
吉良邸の茶会の日の晩に「討ち入り」なんて、
そりゃみんな絶対疲れてたよね~
名物道具も干さないといけないし


お茶をしてる人ならわかりますね。
なんでこのタイミングなの💧