あれから30年 | リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

マニアの隠れ家を目指します。
中津の生渇きの臭い人はお断り。

元号が昭和から平成に変わった直後、国内のボクシング界でのターニング・ポイントになったのは1990年・・・平成2年だと思う。

この年を振り返ってみれば大橋の世界奪取による世界戦21連敗脱出があり、鬼塚、辰吉、渡久地等の平成三羽烏の台頭(川島を入れるという意見もあるが、この年はスランプだったのでこの顔ぶれで。)、タイソンの衝撃の王座陥落in東京ドームなど立て続けに大きなことが起こりました。そうそう、リカルド・ロペスの初来日もこの年でしたね。

BS放送の開始と後のWOWOWの開局、そしてエキサイトマッチの中継が海外との距離をグンと縮め、国内での技術向上のテキストになったのは衆知の通り。

そんな中で一番の衝撃はペレストロイカによる旧ソ連のボクサーの来日でしょう。後に世界王座を獲得するユーリ・アルバチャコフやグッシー・ナザロフ。そして世界こそ獲れなかったものの、超一級の技巧を披露したスラフ・ヤノフスキーの来日と日本でのデビューは大袈裟でなく当時のファンにカルチャー・ショックを引き起こしたものです。

 

特にこの時代に感じたのは、あくまでも一ファンの感想であるが

①精神主義・根性主義から合理性・科学的根拠による練習環境の変化。

②従来のフック系が多かった日本のパンチャーに対してストレート・パンチャーが増加。

③バランスの重視。打った後にクリンチみたいなパターンの選手が激減して攻防の連携が滑らかで試合が滞らない選手が増えた。

 

今ほどでは無いにしろ、ビデオの普及が目覚ましく、トップ選手の試合や練習の映像が指導者や競技者、ファンの間を行き来する様になったのでそれが現場に反映される様になったのが大きかったと思う。

ユーリやナザロフ、そしてリカルド・ロペスといった素材が映像に記録され繰り返し観れたのは大きい。

現代でもエキサイトマッチやDAZN,youtubeなどで当時と比較にならない情報が入手できるし、アマとの関係も当時よりは全然、良好なのでトップ・アマがプロ入りしやすい環境は整ってきている。

今後、歴史を振り返るうえで令和2年が分岐点となったと言える様な事柄が起こって欲しい。勿論、良い意味でだが。