私事ですが、今日からおニューのパソコンで書き書きします。
壊れてから迷い、切りつめ、決意して、購入するもカスタマイズ品だったもので到着に時間がかかり。
結局2か月ほどパソコンのない生活でした。
さー、これで文字うちが楽になるぞ~。
誤字も減るはず…と思いたい。
そんなこんなで話は戻りまして、雪が谷大塚駅前でございます。
ここからちょうど西に6~700メートルくらいのところに多摩川駅がありまして、東急多摩川線はそこまで。
そこから東急東横線と乗り換えできます。
東横線も興味がある路線ですが、神奈川東京縦断のうえに直通路線が多くて把握しきれておりません。
ただ、地図の準備はしたので、今年中にしたいなあと計画中です。
やるならみなとみらい線からかなあ。
雪が谷大塚駅前の商店街はこんな感じでした。
やっぱりあった、商店街。
というか、より庶民派というか、昔から商売しているといった店が多かった気がします。
駅舎が線路沿いの道をふさぐように立ちはだかっていたので、大回り迂回~。
てけてけ迂回しているうちに、ちょっと変わった光景がありました。
マンションの下に、うっそうとしたお庭?
住居用ビルの低層階が商業用になっているのはよくありますが、ここは1階が造園業者だったようで、このお庭はディスプレイのようでした。
おかげで殺風景になりがちなビル1階が日本庭園ですよ。
自由に入ることはできないようですけどね、会社敷地内だし。
ちょうど、雪が谷大塚駅から北に100メートルくらい離れたあたりで、再び線路沿いに戻りました。
線路の東側を歩いていたのですが、西側を歩いたらちょっとは廃線の跡地でも見られたのだろうか?
そのまま線路沿いの細道をてくてく。
なんだか景色がガラッと変わりましたよ。
華やかさが減ったというか・・・。
今までは人通りがそれなりにあったのが、一気に見かけなくなりました。
たまたまなのかどうなのか。
軒先に黒い影が揺れていたのでびっくりしたら、大量のタオルが干してあっただけでした。
美容院の裏手だったので、きっと黒いのはカラー用ですね。
こういう、ちょっと隙のある光景も今まであんまり見かけなかったのですが、景観を気にする地域だったのだろうか?
途中で線路の右側の道が途切れ、代わりのように現れた左の道へ。
たぶんこのあたりに、かつての移転前の雪ヶ谷駅があったんじゃなかろうか。
資料によると、雪ヶ谷駅から北西に、新奥沢線という路線が走っていたわけです。
昨日資料見るまで知らなかったけど。
これは東急池上線の前身・池上電気鉄道の2番目の路線で、2キロ無い短いろせんだったようです。
駅も3つで、あんまり流行ってはいなかったらしい。
池上電気鉄道は将来の発展を目指して、現在のJR中央線の国分寺駅方面へ延伸しようと計画し、その暫定的なものとして新奥沢線を開業させたそうな。
ところが、計画はそこで頓挫します。
まあ、話の流れにあっているような、見事な急坂になりましたよ。
今までまっ平らだった池上線に、いきなり大きな変化が現れました。
…といっても、線路自体は高いところを走っているので、変化は側道のこの坂だけですが。
当初から順調ではなかった池上電気鉄道には、立ちはだかるライバルというにもデカすぎる存在がありました。
この時代、大正から昭和にかけての関東の鉄道史に必ず出てくる五島慶太という人物がいるのですが、この人がそのデカすぎる存在。
実業家の五島慶太氏は現・東急を作った偉い人。
当時は目黒蒲田電鉄を率いていました。
この目黒蒲田電鉄が、すでに新奥沢線が通りたかった地域を開発しようと、先に手を打っていたのですね。
用地買収や鉄道免許申請などなど。
池上電気鉄道は競合他社としてとっくに睨まれていたようで、池上電気鉄道自体ものちに東急の前身・目黒蒲田電鉄に統合されてしまいます。
統合前には、池上電気鉄道も目蒲線にふさがれた進路と別の道を探し、池上線の始点・五反田駅より先への延伸を考えました。
現・京急、当時の京浜電気鉄道の品川ー白金方面へ向かおうとしたりしたそうですが、これも頓挫。
京急が地下鉄道への乗り入れを狙った免許を取得して、それが池上電気鉄道の地盤を侵食することになったそうな。
そういえば、現・京急は都営浅草線と直通運転していて、五反田駅は都営浅草線の駅もあります。
このあたりの因果関係ですかねえ。
五島慶太氏の動きもあり、昭和9年に池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に吸収合併されました。
♪ 恋とマシンガン フリッパーズ・ギター


