この一見関係性のないところにも、実は関係性がある。
もし関係性を見いだせないのであれば、それは想像力の欠如だろう。
たとえば 大事な部屋の鍵をなくして大家さんに合鍵をかりているとしら
たとえば 大家さんから「新しい合鍵まだつくってないのか?」とよくいわれるとしたら
たとえば 大家さんがこわくて、家賃を払いにいったら 合鍵のことを問い詰められる、とおもっていたら
たとえば そのアパートが家賃が手渡しだったら
たとえば その人に前科(隣のアパートからうるさすぎて苦情がでた、鍵を何度もなくした等)があったら
たとえば 合鍵どこでつくっていいのかわからなかったら
たとえば 合鍵作るのにかなりの時間とお金がかかるとしたら
たとえば 当の本人がかなりのちきんでビビリだったら
このようにひとつひとつの「たとえば」が点となる。
その点と点とをつなげていき、「関係性」という線ができあがる。
どんな事象でも事柄でも同じことだ。
なにかの過程があって、なにかの結果が理由つきである。
「火のないところに煙は立たず」というやつだ。
よって
家賃を3か月滞納しているのも仕方がない
と結論づけられる。
以上が合鍵と家賃滞納の是非とその関係性についての考察だ。
3か月はまずいよな・・・・・・。
大家さん すいません。
もうしません。