つづき
下にオススメのSoundCloud MIXのURLを貼り付けておくので、これをBGMにブログを読んでもらえると良いと思います。
https://soundcloud.com/soundtapedotcom/stonelove-1995
96年の「さんピンCAMP」でヒップホップは、さらにヒートアップしクラブ・シーンを賑わして行った。
と同時に90年代のレゲエ・ブームは終盤を迎える。
そんな中、MAD MAXが、大手レコード会社のポリスターからオムニバスのアルバム「MAD MAX INTERNATIONAL」をリリースする。
俺は、このアルバムの中にカシミアとのコンビ曲「LET'S CHILL」で参加した。
ポリスターは「GING GANG GOO」という企画モノのシングルもリリースする。
何年のリリースか?は定かではないが、東京レゲエ人数名がこの1曲に参加した。
同年に、ジャーマティックから「JAH MATIC ONE」というヴァリアスのアルバムがリリースされ、俺はこの中に「人生は上々」という曲で参加している。
「人生は上々」は、自身として2曲目の日本語リリックだった。
97年に7インチ盤でリリースした「うた」は自身3曲目の日本語リリックだった。
ブーム終盤とはいえ、その余波の中でライブ、ラバダブ、レコード・プレイなど、レゲエ・クラブを中心とした活動は止まらなかった。
97年は、95年に開局したばかりの「SHIBUYA FM VOICE 78.4MHz」で、自らが企画&パーソナリティーを務める番組「キガエテ・ラヂオ」がスタートした。
1時間番組(収録放送)で、オールディーズから最新のレゲエまでを発信していた。
何度か番組名や放送日の変更があったが、「SHIBUYA FM VOICE 78.4MHz」でのパーソナリティーは、2013年の廃局まで行なっていた。
「SHIBUYA FM VOICE 78.4MHz」の企画で、TIMEX(タイメックス)の曲を制作した。
RIDDIM TRACKは、DJ HASEBEが作成し、俺がリリック(日本語とパトワのミックス)を作成し、声を入れた。
この頃くらいから、レゲエのクラブが次々とクローズし始め、それと同時に営業も無くなって行った。
ブームが去ったあとは、嵐が去ったあとのように悲惨で、人々は手の平を返したように冷たくなっていった。
数年前に、有ること無いことを言いながら、ニコニコの笑顔で近づいて来た、あの人達は一体、何だったんだろう?
俺は、この時のことを生涯忘れることはないだろう。
つづく ......