しばらくパソコンを開くことも出来なかった。
それどころか、寝たまま、起き上がることさえ出来ずにいた。
まず、7日は外来。
1分間の診察。
月に1度しかないのに、私が書いて来た文章を読むだけの診察。
でも薬は変わらない。
変える気はないらしい。
症状が悪くなると、すぐに増やすのに。
減らすことに関しては、ものすごく慎重だ。
8日は片付けをして、9日は両親と市役所に行った。
しかし、市役所に行く前日、私が入ろうとしているグループホームの系列の違う地区の悪評のBBSを見てしまった。
どうしよう、ここのグループホーム、大丈夫なんだろうか?
両親に話すと、不信感でいっぱいになっている。
私がいくらネット上の書き込みを全部鵜呑みにしないで、と言っても遅かった。
9日にケースワーカーさんにBBSのことをそのまま話して、不安に感じていると言った。
ケースワーカーさんは正直に、「そこの地区のグループホームは、問題を抱えている方が多く入っていて、職員の方もよく見て下さっていると思っています。刑務所並みの対応と言うのは事実でしょう。そうせざるを得ないと言うのも事実でしょうから。それをどこまで事情を知っていて、感じるかですよね。ゆこたんが行く所は、新規オープンなので、どういう形でやっていくかは聞いていませんが、印象は良かったですよね」と言っていた。
複雑な気もしたけど、前日の不安は消えていた。
雨が降る寒い日だった。
昼食に、ステーキガストに行った。
いつも、父は、「俺は、糖尿病だから、余り食べちゃいけないんだ。
だから、卵かけ御飯だけだ」
と言って、卵かけ御飯しか食べないで、最近、隠れて過食するのを心配していた所、ステーキガストに入ったら、サラダバー、スープバー、ご飯もおかわり自由なのに、ステーキ2人前頼むと言い始めた。
私のステーキ分けてあげる、ということで収まったけれど、カレーライス3皿、サラダ3皿、スープ2杯、ステーキ1人前、デザートのプリン類山盛り3皿、食べてたのには何も言えなかった。
しかも、注文する時も、自分がお腹空いているからか、イライラしていて、迷っていると、「日替わりでいいじゃないか!」と叫ぶ。
今度は、私がドリンクバーを付けようとすると、「パパやママが飲んだみたいに思われるから嫌なんだよ」と訳の分からない言い訳をして、ドリンクバーはダメみたいなことを言う。
私は、お店に入って早々、疲れてしまった。
そんなことはお構いなしに、父は食べていた。
帰ってから、私は父に「あれだけ食べれるんだから、普段の昼食もきちんと食べないとね。絶対にお腹空いちゃうよ」と言うと父は素直に「そうだなあ」と言った。
私に異変が起こった。
10日の日の朝。
最近は、3:00に起きられなくなっていた。
眠気が強いとは書いていた。
3:00に起きても、寝てしまうとも。
その日も、3:00に起きたけど、やっぱりまたベッドで7:00まで眠ってしまった。
朝食に起き、普通に両親と朝食を食べ、テレビを見て過ごしていたんだけど、私の視線が1点から動かなくなった。
母は、出掛ける準備をしている。
その時の気持ちは、
寂しいなあ。でも私が我慢すればいいんだ。
なんか体が変だな。息もし辛いし、クラクラするし、気持ち悪い。
もしかして発作が起こるかも。でも、ママ、出掛けるみたい。
母が「どうしたの?ママ、出掛けちゃうよ」と言って来たけど、言葉も出なくなっているし、頷くことしか出来なくなっていた。
NOのサインが出せなかった。
そのまま、母は出掛けてしまった。
父は隣りの部屋にいた。
私は助けが求められない。
携帯も2階の自室に置いたままだ。
(パパ、助けて!!)
そうこうしているうちに、私の体が小刻みに震えて来た。
(収まって・・・お願い・・・)
まだこの段階では、カクカク言っているだけだった。
そこに運良く、父が隣りの部屋からやって来て、私に話しかけて来た。
何か私に話しかけている。
でも何を言っているのか分からない。
何も反応しない私に、やっとおかしいと感じた父。
「どうした?どこか具合悪いのか?震えてるなあ。倒れるかもしれないな。向こう行って、寝よう。ね。パパに掴まって」と言ったので、掴まったら、共倒れになった2人。
「いてててて・・・・腰が痛い。
パパ、腰が痛いから、頑張って立って。向こうまでは連れて行くから」
優しいんだけどなあ。
本当に私の腰が抜けてるとき、どうするのかなあ。
隣りの部屋のこたつに入れて、寝かせてくれた。
タオルケットもかけてくれた。
しばらくすると、発作も収まり、深い眠りについてしまった。
起きた時には、昼食の準備を父がしてくれていた。
「ゆこたん、ご飯だよ」
の声と共に食卓に向かい、食事はしっかりとった。
なのに、食事を終了して、薬を飲もうとしたら、また発作がやって来たのだ。
ガタガタガタガタ・・・・
自分の意思とは反して反り返る体。
怖かった。
もう施設と違って、看護師さんもいない。
ナースコールもない。
でも、近くには父がいた。
「座っているとダメだから、寝てようね」
と言って、また私をこたつの部屋へ連れて行って、寝かせた。
それきり私は、夢と現実の間をさまよいながら、ここがどこなのか、自分は誰なのかも分からなくなってしまう程になり、私はこのまま死んでしまうのではないかと思ってしまった。
でも、その体が全く動けなくなっている最中、ガタガタ震えている私に、父は私が寒くて震えていると思ったらしく、部屋の中を暖房をガンガンに効かせて温めた。
おかげで、私の体温はどんどん上昇し、汗が吹き出ているのに、暖房を止めてはもらえなかった。
さすがに父も同じ部屋にいたから我慢出来なくなったのだろう。
「暖房止めてもいいか?」
と言って、振り返った顔に焦りが。
「顔が真っ赤だな。タオル冷やして来るからな」
私は、父の座席の側のざらざらしたものが気になっていた。
手の平に当たるざらざらした何か。
父は、私の顔を冷たいタオルで拭いてくれた。
「何か飲むか?プリンでも食べるか?」
と聞かれたけど、何も返事が出来なかった。
そこへ、母が帰って来た。
何時頃だったんだろう。
優しかった父が一変した。
「ゆこたん、どうしたの?いつからこんな状態なの?」という母に
「いいから早くコート脱いで、タオル濡らしてこいよ!顔が赤いんだよ!」
「汗かいてるじゃない。暑いんだよ。着替えなくちゃ。熱あるの?」
「知らないよ!俺がそんなこと出来るわけないだろ!じゃあ、俺は席外すよ」
母と2人きりになった。
母が、パジャマと下着を着替えさせてくれた。
半日以上、水分を摂っていないし、トイレにも行っていないことになる。
暖房がついてたから熱くなってただけ、と話すと、
やっぱり、熱なんてないと思った、と言っていた。
「何怒ってるの?」と言うので、
「何も怒ってないよ。突然発作が起きて、びっくりしてるんだよ」と答え、また返事が出来なくなってしまった。
また、眠りの世界へ入ってしまった。
夕飯に起こされたようだけど、起きられなかった。
父と母の喧嘩の声が聞こえたけど、余計食卓に向かえなくなった。
再び起きた時は、20:30だった。
体が楽になっていた。
まずトイレに行った。
テーブルの上にあった麦茶を一気飲みした。
母が「ご飯いる?」と、即答出来なかった。
でも私は食卓に座った。
「おい、ゆこたんがこっち来てるんだから、ご飯、温めてやれよ」と父。
母は泣きはらした顔で、ぶすっとしながら、
「あー、全部あっためるなんて、めんどくさい」と言った。
「めんどくさいなら、いらないよ!」と私。
戻って来た私に、「めんどくさいんだって」と父に言うと、
「俺がやるからいい!」
でも、私がご飯を食べ始めたら、そんな険悪なムードもなくなり、私が
「おいしい、おいしい」を連呼していたら、
「パパはまずいって言ったけどね」と話題に変わる。
食べ終わって、コーヒーを飲んでいたら、父が飛び上がった。
なんだこりゃ!!
その驚きようにびっくりした。
こたつの中の物を触って驚いているようだった。
手の平の中の物は、小魚だった。
父がよく食後に食べている佃煮のようなもので、くるみと和えた小魚。
その小魚が沢山こたつの中から出て来たのだ。
父は、食べたことに覚えがないと言う。
でも、食べた人は父しかいない。
タッパから減っている量も尋常ではないと母が言う。
どうしたらいいんだ。
どうも最近怒りっぽいと思っていたのは・・・
認知症・・・かもしれないの?・・・パパ・・・
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