なにを舞台から伝えたいか。
誰のため?
自己満足のオナニーになってない?
ずっと自問自答してきた。
自問自答を突き詰め、
舞台に立つ必要がないんだ、
という結論に至ったこともある。
ただの自己顕示欲を満たそうとしている、
エゴだらけの自分なのではないか、と。
私以外にも舞台に立っている人はたくさんいる。
すんごい人がたくさんいる。
在り方も、たくさんある。
舞台以外にも、
伝える方法はたくさんある。
コンコン、コンコンと問い詰め続けてきた。
そして、
思ったことは。
やっぱり、好きだ。
ということ。。
ただ、それだけ。
りっぱな使命も、
意義もない。
ただ、
湧き上がる、たまらないエクスタシー。
好きなんだ。
だから、
アタマがどっか飛んでっちゃう。
いつも人生、なんかおかしい。
いつもアホな選択しちゃう。
もう、観念しよう。
カシコく生きられないことを。
ごめんなさい、
お母さん。
ちゃんと生きられなくて。
でも、
楽しく生きています。
音楽家になりたかった父。
親の反対で、音楽関係の大学に行くのを諦め、
製材工場で働いて、
見合い結婚をし。
家にピアノがあったけど、
弾いてる姿を見たことはない。
いつも魚の死んだような目をしていた。
アマチュアの合唱団に入っていた時期があったが、コンサートでのチケット購入の割り当てのお金が高い、と、母親から怒られ、辞めてしまった。
唯一の、野球のナイターをラジオで聴くのも、うるさい、とラジオを投げつけられ、粉々になってきけなくなってしまっていた。
私は、母親に嫌われたくなくて、一緒に父親をいじめていた。
それでも、
お前は父親にそっくりだ、と怒鳴られ。
父親と同じ目に合わされるのではないか、と身構えていた。
大嫌いだった。
離婚の日も、早く出て行け、と思っていた。
まともに話したことがなかった。
でも、感じる。
私の中に、
確かに、
父親と母親の血があることを。
私がアホなのも、
父親と似てるんだろうな。
バカだ、だらしないだのと、
いつも怒鳴られていた父親しか知らないが。
まぁ、、、
母親がそれだけヒステリックになるくらいアホだったんだろうな(笑)
今はもう消息をたどることすらできない父親。
もう、死んでしまったのかもしれない。
生きていても、連絡をとるすべがない。
父親が母親のことをどんな風に思っていたのかは分からないが。
一瞬の愛と快楽はあったんだろう。
その一瞬のおかげで、
私がこうやって生まれ、
こうして生きている。
こうして生きて、
いろんなことを感じて生きている。
そんな生きる喜怒哀楽の歓びを
私が代わって表現するよ。
お父さん、
ありがとう。
私の中に、
あなたが生きてるよ。
私は、生きるよ。

