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 この出版社の図書は、日本国内に限らず世界中の教訓や、諺、格言、寓話などを元に、短く人生を語り学ぼうとするものが多い。そして、小学校の国語の教科書みたいに、必ず振り仮名がついている。

 

 

【縁起をかつぐ心】
 織田信長のように、戦に臨んで、二枚の貨幣を貼り合わせ必ず表が出るように工夫し、縁起をかつぐ心を大いに利用して兵士たちの士気を高めた事例もあるけれど、下記の武田信玄の場合は、全く逆である。
 人は、どんな時に、縁起をかつぐのだろうか。
 大事な局面には命取りになることもある。

 戦国時代の名将・武田信玄は、甲斐(山梨県)を本拠とし、信濃(長野県)制圧を目指していた。
 全軍が、まさに出陣しようとしていた時である。一羽の鳩が飛来し、庭の大樹にとまった。それを見た兵士たちは、皆、
「わぁー」
と歓声をあげて喜んだ。
「なぜ、兵士たちが、あんなに喜んでいるのか」
「出陣する際に、この木の上に鳩が来たならば、大勝利間違いなしと、昔から伝えられております。大変、縁起のいいことです。兵も必勝を確信し、湧き立っているのでございます」
 老臣もうれしそうだ。
 しかし、信玄は表情を変えない。黙って鉄砲を手に取り、たちまち鳩を撃ち落としてしまったのである。
「殿、何をなされますか。吉兆が凶兆にかわってしまうではありませんか」
 老臣は驚いて詰め寄った。
「かりに、鳩が吉兆であるとしよう。では、次の合戦の時に、もし、鳩が飛んでこなかったら、おまえたちは、どんな心境になるのだ」
「・・・・・」
 老臣は答えられない。
 信玄は、出陣する兵士に諭した。
「鳩が来たら縁起がいいと喜ぶ者は、鳩が来なかったら、今度の戦いは危ういのでは、と不安を抱くに違いない。
 そうすれば全軍の士気は下がる。戦わずして、負けたも同然ではないか。
 ささいなことを信ずる惑いを解いてやったのだ。むしろ、普段から戦いに備えて自己を練磨し、必勝の信念を持つべきである」

 戦国最強の武田軍団は、信玄の、こうした冷静な判断力で育てられていくのであった。(p.189-191)
 縁起をかついだり占いに頼ったりする人は、大抵それらに支配されている。
 なにより “普段からの自己練磨と信念” に勝るものはないのだろう。

 

 チャンちゃんが大学に進学するとき、「親が進める大学は吉方で、私が行きたかった大学は凶方である」 と言われたことがある。 選択に関わってくれた気学に造詣の深い方は 「鬼神をも避けるほどの強い決意と行動があれば、凶をも吉に変える」 と教えてくれていた。この見解は正しいのだろう。
 しかし、チャンちゃんは 「強い決意と行動」 という言葉に怯んでしまった。信念なき者の陥穽に落ちたのである。親の進める大学に進学したものの、通ったのはほんの一か月。結局、翌年、再び別の大学を受験して進学した。
 “普段からの自己練磨と信念なき者” と “縁起や占いに依存する者” の組み合わせほど愚かしいものはないように思う。
 鬼神をも避けた事例が、下記の徳川家康である。

 

 

【悪い縁起を破って礎を築いた徳川家康】
 関ヶ原の戦いは、徳川家康の東軍、石田光成の西軍、合わせて15万を超える兵が激突した、天下分け目の合戦である。
 家康が、大軍を率いて江戸城を出発しようとしたのは、9月1日。
 この日、一人の老臣が、
「今日は、縁起の悪い日でござる。どうか、出陣を延期してくだされ」
と進言した。出陣には、日柄のいい日を選ぶのが、当時の常識であった。
 また、徳川家の命運を分ける大事な一戦である。神経質になるのも無理はない。

「どんな日だ」
 家康は尋ねた。
「西塞がりでござる」
 家康は、今、江戸から大阪に向かおうとしている。進行方向は西 ――。その 「西」 がふさがっている、とは、戦いに不利だと意味なのであろう。
 家康は、一笑に付した。
「西がふさがっているならば、自分で破り、開いて進むまでだ。気にする必要はない」
 東軍は、予定どおり出発した。
 大阪を中心とする西軍と、関ヶ原で雌雄を決し、わずか1日の戦闘で、勝利を得ている。
「縁起の悪い日」 に出陣して、徳川幕府3百年の礎を築いたのだから、家康にとって、こんなにめでたい日はなかろう。(p.202-204)
 

<了>