お久しぶりです🌱
今となっては聞き苦しい言い訳ですけれど、かなり日が空いてしまった理由のひとつに、「この記録、実はとってもデリケートな問題を取り扱っているじゃん!」と気付いて、なかなか手が進まなくなってしまったから、というのがあります。
でもやっと戻ってきました。
すみません、お付き合い頂ければうれしいです。
一つ、第一章に付け加えなければならないことがあります。
どんな病院も医師も、万能ではないということです。
私には良くても、あなたには合わないかもしれない。
でもあるいは、三年後だったら、その先生のところで納得いく結果が得られるかもしれない。
声(からだ)は、私たちの精神状態にも大きく左右されますから、その時の自分自身をよく見つめて、決して自分に余計な嘘をつくことのないように、病院選びや手術を決断するのが大事かなと、私は思っています。
そういことを心に留めて頂いて、読んで頂ければ幸です。
第二章 手術に至るまで
※閲覧注意 声帯写真あり。
〜意固地〜
ひとまず手術の決断を先延ばしにし、投薬と"出来る限りの休養"ととある発声による治療を開始。
「どうにかもってくれ…!」と祈る気持ちで、日々の仕事をこなしていました。
しかし私は間もなく、この選択が間違いだったと気がつくのです。
そもそも、医師が求めた"できる限りの休養"など、取れるはずもないスケジュールだったのです。
私は自分の身体の回復力を過信して、先生にちょこっと嘘をついて、きっとこの新しい治療法で治すんだ…!と躍起になっていたんですね。
なんとおろかな。
レコーディングに、沖縄でのアカペラ流し、普段のボイトレ業に、まもなく稽古開始予定の舞台の準備に…
コロナウィルスに対する警戒心も、まださほど高まっていなかった時で(反省してます)、数日の休みは確保したものの、ひとつもキャンセルせずに走ってしまいました。
個人的な話ですが、こんな売れない表現者の私も昨年からようやく、他職種のアルバイトに頼らなくてもやっとこさ生活ができるようになってきて、この流れを止めるのがどうしても怖かった、というのも正直あったかと。
でも結果的に、私のこんな意固地な性格のせいで、たくさんの方々にご迷惑をかけることとなってしまったのです。
今考えても情けない。
案の定、声はどんどん失われていくのでした。
〜音域〜
この頃の私は
【G4(ト音譜表五線第二線のソ)】
でもう裏返ってしまうし、裏声はカスカスで響かず、【C5(ト音譜表第三間のド)】
はもう一か八か、出るか出ないか、というような状態でした。
健康時の私の音域は【C3(所謂
女性でいうところのLow C)〜C6(同じくHigh C)】くらい。調子が良ければ上はもう少し。
小声で喋るにも、少し思いっきって出さないと声帯が合わず、まったく音にならないことに、強いストレスを感じていました。
〜二回目の診察・決断〜
沖縄の流しから帰ってきて、ボロボロな状態でしたが、コロナの影響で職場のボーカルスクールがお休みになったので、すぐに二回目の診察に行きました。
無論、よくなっているはずなどありません。
当時の私の声帯
両声帯のぷっくりしてるのが結節。
ぷっくり同士が邪魔して、声帯がとじられないんですね。。
正直もう、レコーディングはほぼ戦力外だし、流しで相方にものすごい負担をかけさせてしまったし、レッスンも言葉とパッションだけではどうにも伝わりづらいものがあって、心はポキンポキン折れていたので、手術をお願いするつもりで診察に行きました。
これがたしか3/14。
先生に話したらば、早速3/18に予約が取れるとのこと。
5月上旬に舞台もあるし(その後延期になりましたが)、もはや一刻の猶予もない私。
・術後1週間は完全沈黙
・1週〜 会話でならす(まずは相槌程度!)
・2週〜 音域に気をつけて少しずつリハビリ
・3週〜 リハビリ・休養続けつつ、歌ってよし
当初大体こんな流れだと伺っていたので、やるなら今だ…と、ドキドキする胸を押さえ込んで、ついに手術をお願いしたのでした…
(このスケジュール、この後大幅にずれてしまうのですが…)
声帯結節手術の記録🌱第二章 完
次回 第三章*手術当日のこと