①では野球のWBCなどで球数制限で長いイニングでの投球が出来ない以上、必然的に中継ぎ投手の使い方や継投策の重要性を述べてきたが、②ではもう少し突き詰めてこのことを考えていきたい。
思えば日本球界の歴史というのは中継ぎ投手を軽視してきた歴史とも言えなくもない。名球会入りしたロッテの村田兆治がまだ現役でも投げられるだけの能力がありながらも「先発投手が完投できなければ投手を続けられない」とスッパリ引退した(その価値観は潔く格好いい部分もあるが)。
同じく先発完投の価値観が根強かった昭和の時代に南海の野村克也監督が、手先の血行障害で長いイニングでの投球が全くできなくなった江夏豊に当時メジャーで生まれた抑え投球の転向を勧めたところ、江夏は「試合の途中からのマウンドなんぞ二流投手のやることじゃ」と先発にこだわり、野村監督が「江夏。おまえが球界に革命を起こせ」と説得して江夏を日本球界初の抑え投手にしたという話もある。どれも野球=先発投手という価値観から来る話である。
しかし今の時代、21世紀の中で平成も30年近くも経ち、当然野球に対する捉え方も当時と現代では違ってきてもいいはずだ。
筆者の好きなサッカーでもJリーグ夜明け前の頃は、まずFWありきであってハーフはつなぎ役に過ぎなかったが、いつの間にか中盤のトップ下やボランチも人気ポジションになり、サイドバックも守備だけでなく攻撃参加も当たり前になって注目されて、GKやDFも重視されて、今やサッカーの世界はGK以外の10人での全員攻撃&全員守備が必須条件で、重要視されていないポジションはなくなってしまった。
野球も同じであるまず先発投手がメインの時代から1990年代後半での大魔神・佐々木主浩の頃にストッパーが注目されてきた。
筆者のなかではこれからの時代、セットアッパーがピンチのシーンで、どうやって試合をつなぐか?というのをもっと重視していかないといけない。
何も野球に限った話ではないが、時代が変われば環境も変わり価値観も変わる。メジャーの中継ぎ投手で成功した長谷川滋利の「適者生存」ではないが、そうした環境の変化に沿って投手に対する価値観も変えていかないと日本の野球は過酷な世界のグラウンドで淘汰されてしまう。そのためには短いイニングでの継投策が勝敗のキモになる。