①では日本を代表するプロスポーツであるプロ野球という娯楽も実は失敗と敗北前提のスポーツという話をしたが、それは他の競技でも同じなことを説明したい。
筆者が長い期間見続けてきたボクシングという競技で名作ボクシング漫画「はじめの一歩」の主人公幕之内一歩のトレーナーである鴨川源二会長が2連敗して契約解除(クビ)になった外国人ボクサーにこんな言葉を残した。
「プロボクサーに問われるのは結果のみ。2連敗。既に商品価値は薄れている」
この言葉が出てきたのは1994年の2月頃。その前に1993年10月28日にサッカー・ドーハの悲劇があって、スポーツにおけるプロセスというモノに疑問符がついた時期で、この時のショックが抜け切れなかった今のアラフォーである当時の中高生は、前述の鴨川会長の言葉に影響されて、その後20年近く日本スポーツ界は(ボクシングのみならず)「結果至上主義」が蔓延するようになった。
しかし鴨川会長や作者の森川ジョージが悪い訳ではないが、こうした勝利至上主義がスポーツをつまらなくしたところは多分にある。
少なくともあれから20年以上経った今のボクシングは、そうした問われる結果がどうでもいい塩試合(凡戦)だけになり、後楽園ホールの観客席には閑古鳥が鳴く始末である。
その一方で同じプロ格闘技でも大相撲という世界には「負けて覚える相撲かな」という言葉があるように負けが前提の勝負の世界になっている。
プロ格闘技でもボクシングはある程度対戦相手を選べる特殊なスポーツだが、大相撲は相手が選べない。そうした中でどんなに才能があってもどうしても負ける時は負けるのだ。
そもそも大相撲の場合、負けたら終わりの一発勝負のトーナメント戦ではなく、15日の取組(試合)の中でどれだけ沢山勝つかが問われる世界だ。負け自体は痛いがその1敗で競技生命が終わることは(大怪我しない限り)ない。
結局スポーツの魅力というのは選手が競技者としての価値観を追い求めて、その上で勝負に出て負けたら仕方がない。最初から消極的な敗戦は論外だが、勝負師としての哲学の追求を選手も指導者もファンもコンセンサス(共通認識)として持って、その中で勝負を楽しむというのがプロ格闘技でも野球でもサッカーでもこれからは必要になっていく。
つまるところスポーツの魅力というのは勝ち負け以外の「何か」であって、その何かというのは「勝負師の哲学の追求」なのである。