昨年(2015年)もスポーツでは色々なニュースがあったが、その一方でネガティヴな報道があったのもまた事実だ。その際たるモノが巨人の野球賭博である。

具体的な選手名や事件のいきさつに関しては、ネットや紙媒体でも多くの報道があるのでここでは多くを取り上げるつもりはない。

ただ、今回の事件に関して言えばかなりの衝撃があったのも事実だ。しかし筆者はここで安っぽい勧善懲悪なことより、こうした事件の背景について持論をまとめていきたい。

このニュースを知った時一番に思い出したのは2011年に起きた韓国プロサッカーのKリーグの八百長問題だった。

日本における野球にあたる韓国の国民的なスポーツであるサッカーでの八百長問題はファンに対する背任のようなモノで、韓国国内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

この時に問題になったのは韓国のスポーツ界における制度的な矛盾である。

韓国の場合今はこの呼び名は廃止されたが、「四強制度(サーガンチェド)」という野球やサッカーで全国大会ベスト4にならないと競技を続けられないという、韓国特有の絶対的な勝利至上主義があり、それが巡りめぐって八百長の温床になった。

韓国の学校社会には「勉強組」「運動組」という言葉が示すように、日本以上に受験エリートとスポーツエリートを純粋培養するシステムがある。

そうすると運動組のクラスは平日昼間も授業に出席せずに競技の練習や試合の方を優先することになる。

しかしスポーツの場合は、先の四強制度のように高校の大会でベスト4にならないと、その選手はそこで競技者生活は強制終了になる。

しかし、その選手はそれまでスポーツの練習だけで勉強は全くできないので、素寒貧で何の能力もないまま社会の荒波に揉まれるようになる。

そうした選手を雇ってくれる企業など当然どこにもなく、彼らは裏社会に身を投じるしか選択肢がなく、そうした元選手が学校の後輩のプロサッカー選手に儒教的な縦社会と脅迫で八百長を促した、というのが韓国サッカーの八百長のいきさつである。

長くなったので②に続く。