①では日本人力士へ筆者が頭の悪い無茶振りをしたのだが、②では格闘家の本質について見てみたい。

5~6年前にたまたま読んだスポーツ新聞の格闘欄でプロレスの記事があり、アントニオ猪木さんが今の若手日本人プロレスラーに苦言を呈していた。

「今の日本人プロレスラーは小さくまとまっている。俺(猪木さん)に喧嘩を打って殴りかかってくるような奴がいないと日本のプロレスは面白くならない」

この記事を読んで筆者は「そんな核爆弾が手足を生やしたような奴が今の日本にいるのか?」と思った。

しかししばらく経って考え直してみるとそれも一理ある感じもした。

もともとプロレスラーというのはそんな核爆弾に手足を生やしたような、危険物質の塊で命知らずの権化のような奴がなる職業である。しかしプロレスのことはよくわからないけど今の日本の格闘家はやたらお行儀良くて、リスクヘッジと損得勘定ばっかりでつまらないかもしれない。それはどの格闘家にも共通することだ。

もちろん今は新日本プロレスとかが一般のメディアに進出してくるくらいメジャーになって、その時のプロレスと今のプロレスはまた違うのかもしれない。

話を①の相撲に戻すが昔の把瑠都や今の照ノ富士に腕力勝負を賭けてくるような命知らずな輩がいなくなって、今の日本人力士も利口になりすぎている感じがする。

力士もそうだが、格闘家というのは一般人の物差しでは測れない価値観でのまた(よくも悪くも)別の生き物である。

今の格闘家は人間としては良いかもしれないが、格闘家としての物差しでは物足りないところを感じる。