筆者が中学生の頃あたりから、それまでのプロスポーツというのはプロ野球&大相撲くらいのモノだったところに、JリーグやW杯のようなサッカーを中心とした新たなスポーツに対する価値観というモノが生まれた。

そうしたサッカーや他の競技のような新たなプロスポーツが、どんどん当時の日本人の中に流入していったなかで、ある1つの価値観が誕生した。

それは「プロスポーツで問われるのは結果のみ」といったいわゆる結果至上主義である。

そうした考え方というのは本来プロスポーツ前提の価値観なのだが、今の日本のスポーツ界では何故かアマチュアスポーツにもこうした思考になってしまった。

しかもこうした価値観と同時期にブラジルのサッカー界の考えである「マリーシア(ズル賢さ)」というのも日本に入ってきた。

結果至上主義とマリーシアという2つの考え方が入ってきた結果、日本のスポーツ界は「勝てば官軍」のような勝つ為にはどんなに卑怯な反則も審判にばれなければ万事OKのように、姑息な手段を容認するスポーツが主流になった。

しかし筆者はそんな今のスポーツに対する在り方として、一種の生理的嫌悪感(気持ち悪さ)を感じてならない。

こうした歪んだ結果至上主義が跋扈(ばっこ)する今のスポーツ界に必要なのが、今回のブログタイトルにある「誇り」である。〈②に続く〉