(完全に季節外れだが)正月の風物詩の箱根駅伝と夏にヨーロッパ中を熱狂の渦に巻き込むツール・ド・フランス。

    どちらも人気レースだがこの2つにある共通点がある。
   
   実はこれらの2つのレースは実は新聞やテレビの販売促進活動の一環としてスタートした歴史がある。 

まず箱根駅伝からいこう。箱根駅伝という大会はもともと冬場の陸上長距離のトレーニングの一環として始まったいきさつがある。

というのも10月にトラック競技のシーズンが終わりそこからロードレースの季節が始まるが、冬の練習はキツいしモチベーションが保ちづらい。

その為冬の駅伝というのは、長距離ランナーのレース経験を積む場として始まったというシンプルな動機からだった。

1980年代の箱根というのは大学の陸上部にとって「出られなくても構わない(それどころか出たくない選手もいた)」大会だった。

…しかし…

1980年代から日本テレビがスポーツの視聴率が落ちる冬場に野球のオフシーズンに代わるスポーツイベントとして箱根駅伝を中継するようになり、今とは違い正月で一家が集まる三が日に、何時間も大学名の固有名詞が延々と地上波で流れるようになって箱根駅伝は一気に「スポーツビジネス」と変貌した。

折しも少子化が懸念されていた当時、新興の私立大学は地上波に自分の大学名を出す為に、駅伝界の名将と呼ばれる監督を三顧の礼で好待遇で迎え入れ、選手のスカウティングはもちろん長距離の強いケニアや日本の社会人ランナーを「補強」。マネーゲーム化は一気に進んだ。

しかしそうまでしても競争が熾烈化した箱根では出場枠のどん尻の1つの枠が取れるかどうかになっていた。

箱根駅伝が冬の一大スポーツイベントになった背景には、メディアの参入と少子化による大学経営の競争の激化が根底にあった(②に続く)。