今まで「スポーツの現金化」や「雇用」などのテーマが多かったが、今回は少し内容を変えてみたい。

漠然と今の時代を考えているのだが、21世紀に入って(もっと言えば1990年代辺りから)日本社会の中で日本人の価値観や社会の在り方が急激に変化し、当の日本人がその変化についていけていないように見える。

日本人の在り方や日本社会の価値観が変化しだしたのは1990年代なのだが、日本人の在り方が変わったというのは言葉を変えれば日本人の労働に対する価値観が変化してきたということでもある。

日本人はそれまで「就職」というより「就社」というイメージがあり、一回その会社に入れば基本的に定年まで不祥事がなければ雇ってもらえるものであった。その一方でその会社に対する忠誠心(ロイヤリティ)を示す社員に対し、会社の上司は仕事の後に酒席などでわが社のカルチャーを酒を飲みながら教えるといった、会社(企業)が一種の一蓮托生ではないがある種の運命共同体のような組織としてあって、もっと言えば会社で働く=セーフティネットによって守られてる働きがあった。要は平成大不況の前は会社が日本社会においてセーフティネットの役割を果たしていたとも言える。

しかしその役割も平成大不況の前に木っ端微塵にその会社のセーフティネットの役割が吹き飛んでしまった。今まで日本社会の中で企業がそれぞれ担ってきた労働と(その企業への)忠誠心が機能しなくなり、平成大不況によって企業がセーフティネットの維持どころか、企業そのものが存続できなくなり(もっと言えばフィルム事業のようにイノベーションの進化によって市場のパイそのものが激減し)企業そのものが社会におけるセーフティネットの役割を果たせなくなった。

しかしその一方で、大不況の後に企業に代わる新たなセーフティネットの役割を担える組織や集団があるかと言えば、そういった組織もない。自治体に元々そうしたセーフティネットの役割を求めるにも限界はあるし、さりとて新たな組織もない。

そうした社会においてその時代に就職活動をした世代は悲惨である。今まで特に疑問を感じず大学に進学した後に就職(就社)すればいい、という感じだったのがいきなり何のお手本も経験もなく「これからは人生を自分の頭で考えろ!」と唐突に言われて、いきなり梯子(はしご)を外された状態になる。当然まだ20代前半の若者にそんなこと考えることはできない上に、大学の就職課や学校の教師も学内の世界しか知らないからサポートとして不十分である。

かくして現在の20~30代の若者は社会のどのセーフティネットにも入れず、若者の貧困に繋がるのである。

その上今の時代は「プロの世界で問われるのは結果のみ」という、本来人材を育てるのに重視されなければならない過程(プロセス)を軽視(無視)するので、短期的な利益は計算できるが長期的に見て人材も(その企業内での)財産も残せない状態になるので、ますます企業がセーフティネットの役割を残せなくなる。

また一方で20~30代の若者が企業の都合のみで、安定した雇用に就職できずにいると、上の世代はお金を持てるが日本全体が円という通貨の信用を維持できなくなり(通貨というのはその国の若者が働くことへの信用が前提の価値だから)、円がモアトリアム(通貨の信用が失墜しお金の機能が無くなること)にも繋がる。このことはまた別の機会に話したい。ただ今の時代の若者の貧困は真剣に考えないといけない。