最近色々思うところがあり、また興味を赴くままに色々な本を読んでいたりする訳だが、筆者(独眼鉄)がグローバルという言葉を初めて聞いたのは今から18年ぐらい前の千葉の田舎の高校生だった頃である。
その頃高校生で自分の進路を決めるにあたって担任の教師や他の教員が口を揃えて言っていたのが「これからの時代は国境の境目がなくなっていくグローバル化の時代だ。海外に今の若い者は目を向けなければいけない」と言われて、その言葉の通りに海外に目を向けようと考えていた。
もともと筆者の家は母親が仏文学を専攻していてフランス語を今でも勉強していたり、長兄が大学時代にドイツやオーストリアなどドイツ語圏を留学したり、海外に目を向ける下地はある家ではあった。
しかし筆者の場合、筆者より優秀な頭脳を持っている母親や長兄が既に欧米の言語は押さえられてる。他者と同じことをやっていては淘汰されるのは必至と考えていた。
その為、筆者は大学では当時マイナーだった韓国語を勉強するつもりであった。筆者が多感な思春期を過ごした1990年代というのはW杯で韓国代表の存在が頭角を表し、一方野球でも在日コリアンの球界関係者の尽力で韓国人選手が日本球界で活躍できるようになった。
そうした背景から大学で韓国語をやろうとしたら、進学した大学では全く相手にされず当時大学でアジアの言語は本当にかりそめの申し訳程度の中国語しかなかった。その為筆者は今でも卒業した大学にいい印象はないし愛校心もない。大学には「韓国語をやるよりサークルに入ってコンパに行く方がいいだろ」と言われたが筆者はそういうことには全く興味がなかったので大学四年間でしたクラスメートとの会話は一時間ぐらいである。
別に筆者は自分の大学でのトラウマを言いたい訳ではない。当時の教育の世界が言っていたグローバル化というのは「欧米化」であって要は彼らは「日本という劣った国は欧米のような先進的な地域に追い付いていかなければならない」と考えて(前述の筆者の母親や長兄はアジアや他の国にもリスペクトしていたが)、当時の教育界はグローバル教育=欧米化でアジアを(こう言うと何だが)軽視した風潮があった。もし軽視していなかったら筆者は韓国語をもっと勉強できていたはずである。
しかし今の日本の中にある現実のグローバル化は「アジア化」である。以前はテレビの語学教育番組でも日陰者のイメージだった中国語や韓国語は今やドル箱のキラーコンテンツになり、Jリーグでは韓国人選手が外国人助っ人でもブラジル人を抜き最大集団になり、先日のJリーグのトライアウトではタイやベトナム、インドネシア人選手が参加し(実際甲府にはインドネシア人選手がいる)、日本の観光地では台湾や韓国はもちろん(自国に雪のない)タイ人観光客が北海道の観光地のリピーターになっていて、英語の語学留学もフィリピンやマレーシアも選択肢になる時代である。今の日本経済の雇用は日本が軽視していた中国や韓国・他のアジアの需要にかかっている。
筆者(独眼鉄)は昔から韓国語や中国語をやり(手前味噌は嫌だが)アジアの面白みを感じてはいたが、日本の(自分が進学した)大学でアジアの面白さに賛同した人はいなかった。以前にも言った相場師の言葉の「人の行く 裏に道あり 花の山」ではないが大学が誘う欧米化を止めて、アジア化をして(余談だが筆者はONE PIECEやGIANT KILLINGの中国語盤や韓国語盤を持っている)今の中国や韓国、他のアジアの問題でメディアの表面的な情報以外の知識も(独学で)多少はわかる。今の日本社会はグローバル化の本質に刮目(かつもく)するべきである。(下の写真はGIANT KILLINGの台湾盤=逆轉監督の1巻)

その頃高校生で自分の進路を決めるにあたって担任の教師や他の教員が口を揃えて言っていたのが「これからの時代は国境の境目がなくなっていくグローバル化の時代だ。海外に今の若い者は目を向けなければいけない」と言われて、その言葉の通りに海外に目を向けようと考えていた。
もともと筆者の家は母親が仏文学を専攻していてフランス語を今でも勉強していたり、長兄が大学時代にドイツやオーストリアなどドイツ語圏を留学したり、海外に目を向ける下地はある家ではあった。
しかし筆者の場合、筆者より優秀な頭脳を持っている母親や長兄が既に欧米の言語は押さえられてる。他者と同じことをやっていては淘汰されるのは必至と考えていた。
その為、筆者は大学では当時マイナーだった韓国語を勉強するつもりであった。筆者が多感な思春期を過ごした1990年代というのはW杯で韓国代表の存在が頭角を表し、一方野球でも在日コリアンの球界関係者の尽力で韓国人選手が日本球界で活躍できるようになった。
そうした背景から大学で韓国語をやろうとしたら、進学した大学では全く相手にされず当時大学でアジアの言語は本当にかりそめの申し訳程度の中国語しかなかった。その為筆者は今でも卒業した大学にいい印象はないし愛校心もない。大学には「韓国語をやるよりサークルに入ってコンパに行く方がいいだろ」と言われたが筆者はそういうことには全く興味がなかったので大学四年間でしたクラスメートとの会話は一時間ぐらいである。
別に筆者は自分の大学でのトラウマを言いたい訳ではない。当時の教育の世界が言っていたグローバル化というのは「欧米化」であって要は彼らは「日本という劣った国は欧米のような先進的な地域に追い付いていかなければならない」と考えて(前述の筆者の母親や長兄はアジアや他の国にもリスペクトしていたが)、当時の教育界はグローバル教育=欧米化でアジアを(こう言うと何だが)軽視した風潮があった。もし軽視していなかったら筆者は韓国語をもっと勉強できていたはずである。
しかし今の日本の中にある現実のグローバル化は「アジア化」である。以前はテレビの語学教育番組でも日陰者のイメージだった中国語や韓国語は今やドル箱のキラーコンテンツになり、Jリーグでは韓国人選手が外国人助っ人でもブラジル人を抜き最大集団になり、先日のJリーグのトライアウトではタイやベトナム、インドネシア人選手が参加し(実際甲府にはインドネシア人選手がいる)、日本の観光地では台湾や韓国はもちろん(自国に雪のない)タイ人観光客が北海道の観光地のリピーターになっていて、英語の語学留学もフィリピンやマレーシアも選択肢になる時代である。今の日本経済の雇用は日本が軽視していた中国や韓国・他のアジアの需要にかかっている。
筆者(独眼鉄)は昔から韓国語や中国語をやり(手前味噌は嫌だが)アジアの面白みを感じてはいたが、日本の(自分が進学した)大学でアジアの面白さに賛同した人はいなかった。以前にも言った相場師の言葉の「人の行く 裏に道あり 花の山」ではないが大学が誘う欧米化を止めて、アジア化をして(余談だが筆者はONE PIECEやGIANT KILLINGの中国語盤や韓国語盤を持っている)今の中国や韓国、他のアジアの問題でメディアの表面的な情報以外の知識も(独学で)多少はわかる。今の日本社会はグローバル化の本質に刮目(かつもく)するべきである。(下の写真はGIANT KILLINGの台湾盤=逆轉監督の1巻)
