震災~あれから17年 | ぷうたんのぴょんぴょん日記
書こうか今日も書かずに終わろうか・・・
そんなことを考えながら、薄れ行く記憶を辿って・・・
やっぱり少し書いてみようと思いました。

家族が亡くなったとかそのようなことは無いので安心してください。
でもちょっと暗いですよ。

17年前の明日の朝・・阪神淡路大震災・・・

ゴーっと言う音で目覚めた。
北のほうからだんだんと大きくなる轟音。
これが地響きだったんですね。。。
近くに来たと思った瞬間、ドンッ!グラグラ!と地震が。
「地震や!」と飛び起きた瞬間にあの物凄い揺れが来たんです。
薄暗い中とっさに私は左横で寝ている息子の上に覆いかぶさりました。
主人はタンスが倒れないように両手を広げて支えていました。
その光景はまるで遊園地のバイキングに乗っているように、
大きく波に乗ってるようでした。
数分の揺れが数十分に感じました。
揺れがおさまり主人から「娘は!」と聞かれてはじめて「はっ!」
右横で寝ていた娘は布団の中で寝ていました。。
「良かった。。」
そして外から「助けてください!助けてください!」の声。。
当時団地の5階に住んでいたので、4階の方が恐怖で叫んでいました。
母子家庭であったその方は心細さでお隣に非難されました。
大きい揺れはおさまっても余震がずっと続き私達は少し離れた駐車場に行き
車の中で数時間を過ごしました。
朝8時を過ぎた頃家に戻りました。
幸い私達の地域はほとんど被害が無く、電気はすぐに復旧しました。
(ガスはすぐに復旧しなかったので、お風呂は車で40分くらいの所に行ってました。)

ただ5階は震度5はあったんでしょうか・・・
冷蔵庫、レンジは倒れ食器は全部めちゃくちゃ。。
足の踏み場が無い状態でした。
そんな中、前の晩にセットした炊飯器が倒れず、
ご飯が炊けていたのでツナ缶で食べることができました。
(炊飯器を置いてたワゴンにキャスターがついてたのが良かったのかも・・)

そして何時頃だったのか・・5階から東の空を見ると・・
真っ暗・・ではなく真っ黒でした。。
それが長田の火災の黒煙だったんです。。

私達の家族は皆無事でした。

そんな体験も年々薄れて行きましたが、
昨年の3.11、東日本大震災で記憶が蘇りました。
今では息子も娘も自分の身は自分で守れるようになりましたが、
そうでない大事な子が今はいます。
3.11以来夜になると不安になり出かけることができなくなりました。
友人との飲み会やお食事会・・どうしよ・・・
もしも・・・もしも・・・もしも・・・・そんなことばかり考えました。。
仕事をしていても早くお昼になって様子を見に帰りたい。。。
夜寝るときはいつでも避難できるようにキャリーを枕元に置いて・・
キャリーの中には牧草とペレットとハーネス。。。

ハーネスも私には大事な避難用具なんです。
もちろんうさんぽをするのも良いのですが、
私にとってのハーネスは第一に避難用具。。
もしキャリーの中で過ごすことになったとき、
ハーネスがあれば少しは外に出ることができる・・・
そんな思いから負担のない楽に着けはずしの出来るものを選びました。

そんな中、私のこの不安な思いがぱむたんに伝わってしまったんです。。

首もとの毛をむしりだしたんです。
その時は換毛で毛づくろいと思っていたのですが、
或る日娘が「わっ!!禿げとう!」
10円禿げが3個分ぐらいの大きさに毛が無くなっていました。
「たぶん換毛やわ」と思うようにしましたが、
後日「ココロさん」でみてもらうと、
ここまではちょっと異常な抜け方。。
この時期(4月終わり)は震災の映像をずっと見てたり、
飼い主さんが不安な気持ちだとうさぎさんにもストレスになる・・と・・
そのとき娘から、お母さんはぱむたんを撫でるとき
「ぱむたん、もし地震が起きたら一緒に逃げれるかな・・」ってずっと言うとうで!
私もわかってたんですが、まさかぱむたんにストレスを与えていたとは・・

それからは出来るだけもしも・・・のことは言わないようにしました。

人間っておかしなもので、それだけ思いつめていたことが、
月日が経つと過去のことになってしまうんですね。。。たった数ヶ月なのに。。
4月5月に旅行なんて考えも出来なかったけど・・・できるんですね。。。

今はもう一度改めてもしも・・・が起きたときの事を考え直したいと思っています。
でも大丈夫です。。。もうぱむたんにストレスを与えるようなことはしませんから。。

暗い話題を最後まで読んでいただきありがとうございました。
このような話題にコメントをいただくのは申し訳ないので・・m(__)m

次からは明るい話題にしたいと思います。
そのときはまたコメントくださいね(^^)


おかぁかん、また相手してくれへん・・
 

ぱむた~ん!ごめんね~!出ておいで~!