最近わたしの内側に


苦楽


って言葉が浮かぶんです。


先日閃いたことがあるので書いてみようと思います。




この時からできる限り毎日、ここの神社を参っていて

競馬学校を受験する息子のために一つできることとして、【痩せる】ってことがあったので


神社に参るときはウォーキングを兼ねて

往復4.4キロの道のりを早歩きで通うようにしていました。


痩せることの必要性は

受験の2時試験に親面接もあるのですが

体重管理がとにかく重視される職業なので

親がぽっちゃりしてるより痩せてる方が印象がいいだろうと思うので頑張ることにしました。


でも代謝の落ちた50代


歩くくらいではなかなか体重に反映されなくて、ふとしたことから走ってみようと思ったんです。


神社までの道のりは上がり下がりが結構あるので、最初は一部分から走ってましたが、どんどん距離を伸ばせて、今では道のりの半分以上は走れていると思います。


体重も2キロは落とせました✌️



走ることなんて


大嫌いだと思ってました。


いつからか、頑張ることは避けていて

それは頑張りすぎた子育て時代の反省からだったんですが


無理しないこと

頑張らないことを


意識しすぎうぞた側面もあるのかなと。


だからわたしはウォーキングはしていました。

無理なく続けられるからです。


ヨガも続けられる程度におさめてました。



けど

走ると心拍数がすごく上がります。


つらい!


やめたい!


もういいかな…


そこでやめたっていい。



でも神様に頑張ることを勧められたわたしは

これまでなら

自分に優しくと言う言葉の元に

頑張ることから降りてきていたのに


今は反対の選択をとり


もうちょっと

もうちょっとと頑張ってみてるんです。



するとね、頑張った先の

なんとも言えない気持ちよさがあるんですよ!


当たり前か笑



心拍数を上げきったあとの

解放された

気持ちよさがあるんです。


で、また明日も走ってみたくなるんです笑


なにこれ。



スポーツや筋トレをしている人は心の状態がいいとは聞いたことがあって

苦しいくらいに心拍数を上げることはとても前向きなマインドを与えてくれるらしいんですね。


本当にそうだなぁと思います。



わたしはマインドの方面をやってきたので

軽い運動してるだけでも前向きな性格は

保てていたと思うんです。


けど、苦しいくらいに心拍数をあげる運動をしたら

なんとなく


もう嫌なことって起こらないんじゃないかな?

くらいに思えるんです!笑



根拠はないですよ。


そんなはずはない!とは思うのですけど

走って苦しい体験を消化してるから

他で来ないような気がするんですよ笑笑




苦楽という言葉は

苦しいことと楽しいことは背中合わせだという意味なのかなって思うんです。


毎日が晴れだと

晴れていてもいいお天気だなって思えないように

雨の日があってこそ、晴れの日のありがたさを感じられるように


楽しいが欲しかったら

反対の苦しいを体験しないと

そもそも楽しいまで消えてしまうのが法則。



その苦しいを走るで消化してしまう?


わからん。


でもそんな風に感じられるくらい

走ることが苦しくて楽しいのです🤭



今週は待望の孫ちゃんが生まれたし





昨日はすごい倍率の

timelesz のファンミーティングに当選したし


なんかラッキーかも✌️

気分の問題かな?