15年前の1月17日、午前5時46分、阪神大震災が起こりました。
私の住む京都は、震度5弱だったので、被害はそう大きくありませんでした。
(実際、お風呂や部屋の壁に亀裂が入り、庭の灯籠が崩れ落ちていたのみでした。)
私は、子どもの頃から神戸が大好きで、
実は前日もその6日前も、当時付き合っていた彼氏と神戸に遊びに行っていました。
その前日は、のんきにも「このまま泊まりたいね」なんて言っていたのですが、
その数時間後に、大好きな神戸が壊滅状態になっているのをテレビで見て、
泣き崩れたのを覚えています。
今、フジテレビで放送されている土曜プレミアム
阪神大震災から15年「神戸新聞の7日間 5時46分・震度7発生 本社崩壊・・・・・」
という番組を見ながら書いています。
私の知人や友人が亡くなったり被災したわけではありません。
でも、いつもこの時期に震災のことをテレビで見たり新聞で見るたびに、
当時のいろいろなことが思い出され、涙が止まらなくなります。
この記事を読んでくださってる方の中にも、被災された方がいらっしゃるかもしれません。
そんな方たちにとれば、その当時の悲しみや苦しみは
語ることすらできないかもしれません。
今は亡き父の仕事の得意先が、神戸市東灘区にあり、
父が陣中見舞いに、地震発生当日の朝家を出てそちらへ向かったのですが、
何の連絡もないまま、帰って来たのは夜の9時でした。
幸い、得意先の方は被害は少なくて済んだようでしたが、
父は阪急電車で梅田まで行き、そこから歩いて東灘まで向かったそうです。
うちへ連絡を入れようにも、電話も通じなくなっていたため、
行って帰ってくるのがやっとだったと言っていたのを思い出します。
今はずいぶん復興しているところもあると思いますが、
まだ、辛い思いをされている方もいらっしゃると思います。
少しでも、一日でも早くそういう気持ちが癒されますように・・・
そんな1月17日は、実は父の命日でもあります。
9年前の1月17日、6時41分に亡くなりました。
21世紀になってしばらくして、永遠の眠りにつきました。
20世紀から21世紀に変わる瞬間は、私が今勤める病院で、
意識のない父と、母、姉家族、弟、私と夫と共に迎えました。
1月17日は、私にとっても意味のある日になりました。