「チョコレート、食べたんだ」
 慧が涼介の顔を見上げながら言った。涼介は唇を指先で拭い、わずかに頷いた。
「ああ。うまかった」
「よかった、口に合って」
 ほっとしたように慧は微笑んだ。涼介は机のほうに目をやって、口の中で舌を動かした。そうしていると舌先でとろけたチョコレートの甘さが蘇るようであった。慧は涼介の好みを知悉している。彼が甘いチョコレートが好きだということも。ただ甘いのではなくて、濃厚なミルクの風味と、ふんわりと雪のようにとろけてしまうなめらかな口当たりのものが好きだということも。
「高かったろ」
「そうでもないよ」
「オレが値段わかんないと思うなよ。わざわざそんなのオレに買ってくるなんて」
「ぼくなんかじゃなくて、綺麗な女の人からもらいたかったよね?」
 ひねくれた笑いで言うと涼介は眉をしかめた。慧の、いつもの癖だ。そうやって自分を貶めるようなことを言う。自分に価値がないと思っている彼は、己惚れることもできずにそういったことを口にするのだ。仕方がないこととは涼介も知っているが、それでも彼のそういうところは好きではなかった。続きを言わせないように口を塞いでやって、一呼吸。
「そんなこと言うなって。そうじゃなくて、オレべつになんも用意してないのにって」
「バレンタインデーだから、涼介が用意する必要ないじゃない」
「そっちこそ、バレンタインだからって用意することないだろ」
「こういうときだから、いいチョコレート買いやすいからね。高そうな店に入らなくてもいいからさ」
「ほら、やっぱり高いじゃねえか」
「あっ」
 珍しく慧が墓穴を掘った。涼介はどことなく勝ち誇ったような顔をして額を小突く。慧は照れたように笑い、その顔を見て涼介は呆れたように息を吐いた。これもまた、涼介が良く思っていないことである。慧は涼介のためならば限度というものを知らない。それで去年ずいぶんと痛い目を見たはずなのに、それでもやめないのだ。いや、痛いとも感じていないかもしれない。行いそのものよりも、おそらく慧は涼介のために完璧な振る舞いができなかったことを後悔しているであろうから。これはもう慧の性格だから直しようもないかもしれない。涼介は目を伏せ、吐息交じりに囁いた。
「ムリすんなよ」
「無理はしていないよ。まあ、せっかく、だし。手作りしようにも、ぼくには甘いものの味は分からないから」
「だからどうしておまえがチョコ持ってくる必要があるんだっつーの。前提がおかしいだろ」
「日頃の感謝かなあ」
「ふうん」
 すんすんと鼻を動かした。涼介の吐息に交じって甘い香りがふわりと漂う。甘いものの味が分からずとも、チョコレートの香りは好きだ。心がほころぶような、甘く、どこか苦い暖かい吐息。涼介の心地よい重さを感じながら目を細めた。涼介は顔を離してそんな彼のつんと尖った鼻先をつまんだ。
「じゃあ、ホワイトデーは覚悟してろよ。高級ステーキ店に連れて行ってやるから」
「ホワイトデーなんか存在しないよ?」
 すっとぼけた顔で言う慧。涼介はつまんだ鼻をねじるように弄った。
「少なくとも日本にはあるだろ」
「ホワイトデーなんか商業主義が生み出した文化だよ」
「じゃあ、日本におけるバレンタインも商業主義が作った文化だな。企業の陰謀だな。必要ないな」
「……まったく、涼介には敵わないなあ」
 くすくすと笑った。涼介に甘える心地よさからそう言って人懐っこい、外では見せない笑い方をした。
「それにしても、もうバレンタインかあ。去年はどうだったっけ」
「絶賛片想い中でした」
 投げやり気味で涼介が言うと、そのままの笑顔で慧は頷いた。
「そうだったね」
「そうだよ。どっちも撃沈だけど」
「相手が悪かったよね」
「勝ち目なんかなかった。ま、結果的に、よかった……か、どうかは、まだ分からないけどな」
 涼介もまた気安さから相好を崩した。慧はふたりにだけ通じる意味を込めて
「いろいろな日を過ごすね」
 と言うと、涼介は自分の右手首を触りながら
「そうだな」
 とだけ言った。


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あとがき
どうもアルティメイタムおひさしぶりです
今回はくそみたいな小話です。ちなみに本編終了後の話となっております
妙に中途半端だなと思われるかもしれませんが、じつはこれには続きがありまして、ですがあまりにもバレンタイン関係なさ過ぎてぶった切りました。はい。削除してはいないけれど、のせるつもりはないです……あんまりにもあれなので
本編終了後のいろんな障壁がなくなったふたりを書きたくて仕方ないのですが! それには話を進めるしかないですね。早く書かねば……